核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

複数主人公型の物語論に向けて

 院二病、とでもいうのでしょうか。静岡大学大学院修士課程のころ、既成の物語論構造主義が妙に気に食わなかった時期がありまして。特にその単線的な主人公中心主義が。ロシアの魔法昔話ならともかく、近代日本文学がそんなんで解釈できるものかと(解釈できる作品もいっぱいありますが)、反発していたわけです。
 で、夏目漱石の『明暗』だとか、と横光利一の『上海』といった、主人公がころころ変わる作品に没頭しまして。複数の視点・複数の物語が並行したり交差したり否定し合ったりする、「純粋小説」を夢想したものでした。
 修士論文はさんざんな出来でしたが、あのころの理想を完全に捨てたわけではありません。反戦小説としてのみ評価されがちな木下尚江の『火の柱』も、今思えばその複数物語性をもっと評価しておくべきだったと思っています。
 遅塚麗水の『電話機』なんかもそうですね。あれは
 
 (以下ネタバレ)
 
 すべてが一人の妄想だったという結末なのですが、そうしないほうがより、横光のいう「純粋小説」に近かったのではと思っています。
 『シノビガミ』というTRPGに出会って、久しぶりに院二病がぶり返すのを感じています。『明暗』や『上海』(むしろ「機械」かな)をTRPGシナリオにコンバートできないものかと考えています。
 え、「将軍」?あれも複数視点だけど、複数物語型といえるかどうか。