昨日はPC不調で休んでしまいました。また多元的物語論の続きを。
主人公や視点人物がいっぱいいたって、結局目先がちょっと変わるだけで、平和主義とかデモクラシーとは何の関係もないんじゃないの?という疑問はあるかもしれません。私は大いにかかわると思っています。
これがもし最初から単一視点による三人称か一人称で書かれて居たら、どんなに中立を心がけたとしても、小説自体が党派性を持ってしまうのは避けがたいと思うのです。
もう少しメジャーな例を出さないと、多元的な手法による物語が、民主主義や平和主義と相性がいいという証明にはならないかもしれませんでした。視点切り替えや複数主人公を採用していても非民主主義的・非平和主義的な作品はあるわけで、そのちがいも考えなければなりません。
今考えているキーワードは、「主」です。主人公の「主」であり、主義主張の「主」。単に登場人物が多いだけの小説と、私が想定している多元的小説の違いは、「主」が複数であるかどうかといったあたりにありそうです。