核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

多元的物語論序説 福地桜痴『仙居の夢』を例に

 昨日はPC不調で休んでしまいました。また多元的物語論の続きを。
 主人公や視点人物がいっぱいいたって、結局目先がちょっと変わるだけで、平和主義とかデモクラシーとは何の関係もないんじゃないの?という疑問はあるかもしれません。私は大いにかかわると思っています。
 福地桜痴が、実際の第一回衆議院議員選挙と同時に書いた新聞小説に、『仙居の夢』(一八九〇)があります。
 自由党立憲改進党・国粋保存・政府系の四つをもじった四大勢力の選挙戦を、交互に移動する視点で描いた小説です。選挙が終了した後半以降は単一視点になってしまいますが、前半は読みごたえがあります。
 これがもし最初から単一視点による三人称か一人称で書かれて居たら、どんなに中立を心がけたとしても、小説自体が党派性を持ってしまうのは避けがたいと思うのです。
 もう少しメジャーな例を出さないと、多元的な手法による物語が、民主主義や平和主義と相性がいいという証明にはならないかもしれませんでした。視点切り替えや複数主人公を採用していても非民主主義的・非平和主義的な作品はあるわけで、そのちがいも考えなければなりません。
 今考えているキーワードは、「主」です。主人公の「主」であり、主義主張の「主」。単に登場人物が多いだけの小説と、私が想定している多元的小説の違いは、「主」が複数であるかどうかといったあたりにありそうです。