核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧

紺のきつねそば

「たぬきうどん」というカップめんはなかったので、きつねそばを先に試してみました。 上乗せの具だけを交換する、「赤いたぬきと緑のきつね」という案も考えたのですが、すでに画像つきでブログに載せた方がいらっしゃいまして。揚げ玉とうどんを買って自作…

きつねうどん。

悪くはないんですけど、「きつね=うどん」、「たぬき=そば」という固定観念にとらわれるのもどうかと思いまして。明日は順列組み合わせを試してみます。

比留間亮平「エラスムスの平和思想における宗教間対話の思想とその限界(宗教間対話の思想-その歴史と理論-,パネル,<特集>第六十九回学術大会紀要) 」

『宗教研究』(84(4), 938-939, 2011-03-30)所収。Ciniiで全文が読めます。最新のエラスムス研究の一つです。 http://ci.nii.ac.jp/els/110008513758.pdf?id=ART0009708955&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1366982285&cp= …

王風麺、ちびろく、本中華

どうも平和主義について語る気力が出ないので、今はなき思い出のインスタントラーメンについて語ることにします。 まず、白湯スープの王風麺(わんふうめん)。第一印象はかのロングセラー、サッポロ一番塩味に似た感じですが、スープのコクと麺の食感はそれ…

本日も。

更新をお休みさせていただきます。

佐藤和正 『太平洋海戦①【進攻篇】』 講談社 1988

以前に「どこかで読んだ」と書いた、ミッドウェイ敗戦前の図上演習のいきさつを知りたくて借りてきました。 1942(昭和17)年の5月1日から4日間、「大和」で行われた図上演習。 連合艦隊参謀長の宇垣纒少将(『戦藻録』の作者)が審判長および青軍…

本日休業。

不調につき更新を休ませていただきます。

エラスムス 『戦争は体験しない者にこそ快し』 その1(二宮敬『人類の知的遺産 23 エラスムス』講談社 1984 より)

エラスムス著『格言集』の一五〇八年版の第三〇〇一番、Dulce Bellum Inexpertis(「戦争は体験しない者にこそ快し」。質・量ともにことわざ辞典の一項目というレベルを超えた、堂々たる平和主義理論です。日本語訳にして67ページ分。 ひとまず二宮敬氏の…

エラスムス 『学習計画』(二宮敬『人類の知的遺産 23 エラスムス』講談社 1984 より)

今さらルネサンス期のユマニストでもないだろ、と思われるかも知れません。実は私もそうだったのですが、松元雅和氏の『平和主義とは何か』で、エラスムスの『戦争は体験しない者にこそ快し』(1508)を知り、二宮敬氏による日本語訳を読んでみる気にな…

巧妙な平和主義の一例―『墨子』

あまりにも有名な話であり、魯迅の小説で御存じの方も多いでしょうから、あらすじだけ紹介します。 古代中国。侵略戦争をたくらむ敵国に単身乗り込んだ墨子が、帯と木片を城と兵器に見立て、敵国の要人を相手にシミュレーションを演じて打ち負かし、侵略を思…

巧妙な平和主義

巧妙な完全犯罪。巧妙な機械仕掛け。巧妙な戦術。 それらと同じぐらい、巧妙な平和主義というのはないものでしょうか。アリストパネスの『アカルナイの人々』のような感じで。あくまでも倫理の許す範囲で。

「平和主義」という語の初出について

松元雅和氏の『平和主義とは何か』(中公新書 2013)は近来まれに見る名著なのですが、一箇所だけ重箱の隅をつつかせていただきます。 「語源的に見ると、「平和主義」(パシフィズム)との言葉が生まれたのは意外に新しく、今から一一〇年ほど前、一九…

松元雅和 『平和主義とは何か』(中公新書 2013) その2 トルストイとラッセル

同書冒頭より、平和主義の代表者二人の比較を。 ※ トルストイは内面的で、戦争と平和の問題を絶えず実存の問題として引き受け、自分の信仰の純粋さに専心する一生を過ごした。他方のラッセルは外交的で、同時代の政治・社会問題についていち早く発言し、世界…

『まんが日本昔ばなし』のオープニングについて

往年の名作アニメ。あのドラゴンライダー(竜の子太郎?)の顔が好きでたまりません。 ブルーインパルスなみのアクロバットで高高度飛行中にも関わらず、二回ほどアップになった顔からは、Gや精神的動揺がまったく感じられません。 平和主義者たるもの、常…

戦争の道徳的○○物

私はあっちこっちでW・ジェイムズの論文の題名およびそのキーワードを「戦争の道徳的代替物」と書いてしまいましたが、どうやら「戦争の道徳的等価物」が正しい訳語のようです。 出典の原文と日本語訳を確認した上で、正式にお詫びと訂正をさせていただきま…

松元雅和 『平和主義とは何か』(中公新書 2013) その1

まず、個人的な関心事から引用します。同書の終章はウィリアム・ジェイムズの反戦論「戦争の道徳的等価物」で結ばれているわけですが、 ※ W・ジェイムズの引用については、菅原健史氏のブログから学ばせていただいた。 (あとがき 225ページ) ※ とのこ…

松元雅和 『平和主義とは何か』 中公新書 2013 (予告)

2013年3月25日発行。この方の論文は以前にも引用させていただきましたが(絶対平和主義と平和優先主義の違いのあたり)、著作を読むのは始めてです。 「「愛する人が襲われても無抵抗でよいのか」「正しい戦争もあるはず」「平和主義は非現実的だ」「…

アラン 「曖昧な兆候」(『プロポ Ⅰ』より)

もいっちょ引用。フロイトの『精神分析』を、「ありもしないものを見抜こうとする術にほかならない」と断言した章の末尾にて。 ※ デカルトの天才のもっとも驚くべき特色のひとつ、もっとも理解されていない特色のひとつは、動物に精神を想定することをつねに…

アラン 「動物崇拝」(『プロポ Ⅰ』より)

(本来は昨夜(4月7日夜)に書くはずでしたが、PC不調により遅れたことをお詫びします)。 アランはデカルト哲学に心酔しており、例の「動物には魂はない」という説についても例外ではありませんでした。 ビーバーがダムを作ったり、鳥が巣を編んだりする…

アラン「兵士としての隷従」(『プロポ Ⅰ』より)

そもそも、平和主義者でもあり、第一次大戦時には四十代なかばの高齢でもあったアランがなぜ兵士となったのか。戦後(1921年3月27日)にはこう書いています。 ※ 戦争の三年間、民間人としての隷従よりも兵士としての隷従を選ぶようにわたしに決意させ…

アランの戦争体験

おなじみ『プロポ Ⅰ』より。第一次世界大戦に従軍し、敵兵を発見したアランの体験を紹介します。 ※ 人殺しの訓練をしていた一九一五年夏のある午後のことをおぼえている。わたしは望遠鏡で、鍋をもってやってくる敵軍の炊事係かスープ運搬係の動きを追ってい…

『アラン著作集 第六巻 イデー』(渡辺秀訳 白水社 1960)より「デカルト」 (予告)

アランの文章にはことあるごとにデカルトが出るのですが、この『イデー』という哲学書も、約四分の一をデカルトに割いています(残りはプラトン、ヘーゲル、コント)。 原著が出た1939年には、アランは既に平和主義者だったはずなのですが、デカルトが進…

アラン『プロポ Ⅰ』(山崎庸一郎訳 みすず書房 2000)より 「戦争は人間に捧げるミサである」

こんな題名ですが(つけたのはアランではなく編集者だそうです)、戦争の罪悪は戦わさせられる末端の兵士ではなく、戦争を引き起こす政治家や将軍の側にある、というのが本題です。 ※ 名誉は戦争の真の原動力である。これゆえ平和の友たちにはわずかな希望し…

アラン 『プロポ Ⅰ』(山崎庸一郎訳 みすず書房 2000)より「地上に平和を」(1923)

「平和は明日にも可能である。明日にも容易である」(314ページ)。アランの文章には皮肉や遠回しな表現がやたら多いのですが、少なくともこの「地上に平和を」はアイロニーではありません。アランは切実に、個人レベルの道徳心による平和を訴えているの…