核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

アラン『プロポ Ⅰ』(山崎庸一郎訳 みすず書房 2000)より 「戦争は人間に捧げるミサである」

 こんな題名ですが(つけたのはアランではなく編集者だそうです)、戦争の罪悪は戦わさせられる末端の兵士ではなく、戦争を引き起こす政治家や将軍の側にある、というのが本題です。
 
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 名誉は戦争の真の原動力である。これゆえ平和の友たちにはわずかな希望しか残されない。しかし戦争は、野心に突き動かされ、栄光に引き寄せられた政治家たちと将軍たちとの双方の立案によってしか起こりえないものだから、もしすべて女性によって構成される名誉法廷が、直接にからだを張る者たちにのみ賞賛を与え、戦争を準備したり指導したりしながら、みずからすすんで苦難や危険のもっとも多い部署におもむかなかった者たちを、例外なく、下劣で軽蔑すべき人間とみなすならば、それは重要な、おそらくは決定的な結果をもたらすだろう。また、国家の首長と将軍は自分の生命を出し惜しみすることは確実であるから、野心家も乱暴者ももはやそのような職業を欲しなくなるにちがいない。
                                                   一九二一年四月二日
 (130ページ)
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 長谷川如是閑の「戦争絶滅請合法案」や、与謝野晶子の「すめらみことは戦いに」の詩句を連想させます。たしかに、安全な場所で威勢のいい主戦論を叫ぶ、政治家や高級軍人や文化人が減る(物理的にではなく、主戦論をやめるという意味で)のはいいことでしょうけど。たまに、最前線で自らの身を危険にさらすことも恐れない主戦論者もいることはいるから厄介でして。スウェーデン獅子王とか。