日露戦争前、内村鑑三、幸徳秋水とともに主戦論の『万朝報』紙を辞職した堺利彦。
日清戦争期はどうだったのかというと、
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一八九四年七月には日清戦争が始まったが、当時の知識人たちの多くが、この戦争は日本にとって正義の戦いだと考えていた。日清戦争は「文明と野蛮の戦争」だという見方は、福沢諭吉が『時事新報』の社説(同年七月二十九日)で強調したことで定着したともいえる。国粋主義者の自覚はなくても、二十代の堺がこの戦争に若い血をたぎらせたのは当然だろう。堺は『新浪華』に連載していた「生ぬるい小説」を中止して、代わりに戦争美談を載せるほど、当時の風潮に染まっていた。
黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』講談社 二〇一〇 五五頁
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戦争美談の実物は未見ですが、残念な話です。
なお、次の北清事変で堺が従軍し、なまの戦争を目撃して非戦論に傾いた経緯は、
もご覧ください。