核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

木下尚江 「小説始末記」その2(『木下尚江全集』第一九巻 教文館 2003)

 一つ「小説」に立て籠もつて、非戦論を書いてやらう。そんな動機でスタートした尚江の連載小説。
 
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 偖て明治三十七年の元日から、「火の柱」が毎日新聞の第一面へ出た。平福(百穂)君が矢張り画を書ひて呉れた。実際勿体ないことであつた。
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 君よ。是れで、小説を書いた僕の態度がわかつたろう。僕は尊重したが故に小説を書ひたのではない。軽蔑したが故に書ひたのだ。(略)
 「火の柱」を無理に書き終わった頃は、日露戦争は疾くに幕を開ひて居り、一方、幸徳(秋水)堺(利彦)等同志の「平民社」も盛に反対運動を進めて居た(引用者注 他人事みたいに書いてますが、尚江も中心メンバーの一人です)。(『火の柱』を)堺君が是非出版すると言ふのだ。僕は拒絶した。新聞記者の文章は草葉の露と同様で、一と朝(繰り返し記号)のものだと言ふのが、僕の持論であつたからだ。
 『平民社の財政の犠牲になつて呉れ』
 と堺君が言ふ。堺君の口説き上手に落とされて、僕は遂に快く承諾した。(618ページ)
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 少し後の文中に「今日六十の坂に立つて回顧すると」とあります。尚江は1869(明治2)年生まれなので、1929(昭和4)年ごろに書かれたと思われます。晩年の尚江はしきりに幸徳秋水の思い出を書いているのですが、この文にもあまり本題と関係なく、以下の一節があります。
 
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 幸徳がよく罵つた『君は神の奴隷だ』と。奴隷ならば文句は無い。苦悩の仁核は「神の奴隷」では無くして、「神を奴隷」にする所に在る。(619ページ)
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 少しだけ注釈を加えると、尚江は「キリスト教徒だから戦争に反対した」のではなく、「戦争を阻止するためにキリスト教徒になった」のです。当人も自分の信仰は不純だとか悩んではいましたけど。内村鑑三と違うところです。