核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

幸徳秋水のトルストイ批判

 日露戦争終結から3年後の1908年。かつて固く団結していた非戦論者たちは、議会派・直接行動派・トルストイ的人道派などに分裂していました。これは直接行動派の指導者であった幸徳秋水が、木下尚江が主宰する非暴力主義の雑誌『新生活』に向けた批判です。

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 トルストイアンは曰く、国家も非なり、左れど革命も亦非なり、唯神を信ぜよ、隣人を愛せよと、嗚呼敬虔正直順良なる農民が神を信じ隣人を愛する幾千年ぞや、彼等は何時まで、神を信じ隣人を愛して牛馬の生活を為さゞる可らざる乎、小生は彼のトルストイアンの言義の寧ろ残忍なるに驚くものにて候。
 ▲トルストイアンの議論文章は、理義にあらずして寧ろ詩歌なり、識見と言はんよりも寧ろ情熱なり、友人木下君の『新生活』の如きは、其較著なる標本なり、小生は之に対して深き同情を有し、大なる尊敬を払ふ者なるも、而も常に其論理の帰結茫漠たるに失望せしめらるゝの遺憾に堪へず候。
 幸徳秋水 「海南評論」『大阪平民新聞』二〇号 一九〇八(明治四一)年三月二〇日
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 非暴力主義は弱者に対して「残忍」な思想ではないのか。この問いに対して、木下尚江は幸徳秋水を納得させる答えを返すことが、最後までできませんでした。
 神に審判を求めるがごとき非暴力主義が「残忍」であることは、私も否定しません。だからこそ、私は宗教ではなく、茫漠ではない「論理の帰結」に答えを求めたいと、つねづね思っているわけです。