核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

エクセル知らず

事務系の仕事についた経験がなく、数量分析的な研究もやったことがないので(軽蔑しているわけではありません。算数が苦手なだけです)、表計算ソフトはごく初歩的な操作しか知らなかったのですが、このたび思い立って勉強しなおすことにしました。 あるゲー…

「たけしの挑戦状」「さんまの名探偵」

どうでもいい話を書きます。前回はつい熱くなってしまったので。 1980年代、芸能人の名を冠したファミコンゲームの代表作二本。昔は友人がやっているのを横で見ていた程度ですが、このたびまとめて結末を知りまして。 ひたすら殴りかかってくるやくざや…

「記憶」ではなく「記録」に基づく議論を。

古新聞古雑誌をあさるしか能がないのかこいつは、という想定される批判に対して、あらかじめ弁明しておきます。 人間の記憶というものはあてにならないものです。かつて熱烈に原子力発電を支持していた大江健三郎が、まるでずっと前から反対派だったような顔…

石原慎太郎と大江健三郎の中共礼賛

大江健三郎と石原慎太郎というと、政治的には逆の立場(左と右)なのではないかと思われるかもしれません。 しかし1960(昭和35)年前後、2000万人以上の犠牲者を出していた中共(中華人民共和国の当時の略称)への好意的な評価という点では、両者…

石原慎太郎 「太陽の季節」盗作説

「石原慎太郎の盗作」なんて題の書庫を設けておきながら、今の今までほったらかしていたことをお詫びします。 まず有名どころから。『文藝春秋』1959(昭和34)年10月号、「弟より俳優向きと言われた「太陽の季節」の作家 昭和30年6月7日」より…

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年) その3 日刊新聞印刷編

特に忙しいわけでもないのに、たびたび更新を休んですみません。 ブログでさえ毎日更新は手間なのに、明治初期の人々は日刊新聞なんてものをどうやって印刷していたのか。おなじみ「私の見た明治文壇」より。 ※ 其頃(引用者注 明治初期)は今(引用者注 昭…

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年) その2 小説作法編

動物と人間についての論がとどこおり気味なので、魯文まわりの資料を先に集めることにしました。 弟子の野崎左文による、魯文の新聞小説の作法についての証言です。長いので要約で。 ・まず一つの材料をとらえて腹稿(あらすじ)を定める。 ・それを三十回~…

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年)

仮名垣魯文の弟子による、食についての貴重な証言です。 角川書店『日本近代文学大系 第60巻 近代文学回想集』(1973(昭和48)年)より。 ※ (仮名垣魯文)翁の嗜好としては取立てゝいふ程のものもないが、酒は深く嗜まず甘い物も多くは食せず、唯…

明治ゼロ年代。

明治文学研究者と自称していながら、いわゆる開化期の文学については不勉強でした。 江戸前のわさびじょうゆに、生煮えの牛肉をぶちこんだ、まさに牛鍋の味。 「文明流」の弦斎コロッケとはまた別の味わいがあります。 まだ仮名垣魯文が提示した「動物に魂は…

学位記到着。

二日間も更新を休んですみません。 やっと届きました。今心からありがとう。 しばらくはしめきりは忘れて、文学研究やら平和主義について原点から考えてみます。

金森修 『動物に魂はあるのか』 中公新書 2012 より アガンベン要約

アガンベンの『開かれ』は先日川崎の図書館で見つけたのですが、満席だったこともありじっくり読む余裕がありませんでした。このたび、金森修『動物に魂はあるのか』に要約を見つけましたので、引用します。 ※ (前段略。人間と動物の違いは実体的に明確なの…

金森修 『動物に魂はあるのか』 中公新書 2012

真打ち登場。新書サイズとはいえ、アリストテレスからモンテーニュ、デカルト、アガンベン、デリダまで、動物の魂についての哲学史を要約した本です。 著者自身の結論も、以下のように明白に示されています。 ※ きっと読者は私にこう問いかけるに違いない。…

JUJU 「ありがとう」

映画「ツナグ」主題歌。作詞:Satomi。作曲:川口大輔。 テーマソングがないと 論文が書けない体質ですが、今回はこれで決まりです。 全盛期のMISIAを連想させる、ラブソングの枠をはみ出した壮大な曲です。

福沢諭吉 『福翁自伝』より ブタの子の丸煮

『福翁自伝』(慶応通信 1957)の「はじめてアメリカに渡る」章より。 前回紹介した、福沢が大阪で牛鍋を食べていた時期の二年ほど後です。 ※ あるときにメールアイランドの近所にバレーフォーという所があって、そこにオランダの医者がいる。(略)ソコ…

福沢諭吉 『福翁自伝』より 「塾長の収入牛屋の定客」

安愚楽鍋論の参考になるかは別として、貴重な幕末の牛鍋資料です。 原著は1899(明治32)年刊。引用は慶応通信、1957(昭和32)年刊によります。 1857(安政4年)、大阪の緒方塾で塾長をしていた時代の福沢諭吉。その食生活は。 ※ 銭の乏し…

万亭応賀 『和談三才図笑』(予告)

仮名垣魯文論が暗礁に乗り上げたというのに、手を広げていいのかという気はしますけど。 『明治文学全集』の解説を読んで、妙に気になった人です。 『和談三才図笑』は近代デジタルライブラリーにありましたけど、くずし字が読めるかどうか。問題は私のリテ…

古書の王国 名古屋鶴舞編

ある方のブログに触発されまして、名古屋の古本屋のことなど書いてみます。 JRおよび地下鉄鶴舞駅。この近辺には古書会館と古本屋がずらっと並ぶ通りがありまして。 古書会館の100円コーナーにはよく円本(昭和初期の文学全集)がバラで積まれてました…

仮名垣魯文の評価について

「「牛店雑談安愚楽鍋」の書き方は次のようなものであった。(引用省略)このような洒落と悪ふざけの混った戯文口調は巧妙であったが、小説の考え方は江戸戯作から一歩も出ていなかった」(伊藤整『日本文壇史1 開化期の人々』講談社文芸文庫 1994 より…

科学忍者隊ガッチャマンⅡ最終回

「おはよう」ではないガッチャマン。実はこの最終回は人生初見でした。 敵の幹部ゲルサドラ(前任者のベルクカッツェよりいやなやつでした)がどたん場で地球側に裏切り、ついに総裁Xと対面するガッチャマンたち。例によって自爆攻撃をかけようとするジョー…

明治年間好評書籍大番附

2012年7月12日(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2012/07/12)にも孫引きで紹介した、『帝国教育』1911(明治43)年10月号の好評書籍大番附。このたび国会図書館にて現物を入手しました。 下段中央にひときわ大きく「村井弦…

アガンベン 『開かれ 人間と動物』

つい久しぶりに現代思想なんぞに手を出してしまいましたが、理解不能でした。 「難解」というのとは少し違います。私はこれでも専門外ながらプラトンだのアクィナスだのカントだのを読んできてまして、西洋文明が人間と動物を区別してきた論理については理解…

ミネラリアン待望

ドラえもんの「のら犬「イチ」の国」に、自動ハンバーグ製造機(題名・道具名ともにうろおぼえ)が出てきました。 あれ実現できないものでしょうか。未来の国でも貴重品らしく、ドラえもんが「ついに手に入れた。ついに手に入れた」って二回言ってましたけど…

中村慎吾 「仕立て直される「菜食信者」―「ビヂテリアン大祭」における「衣装」をめぐって―」

『日本文学』2012年9月号収録論文。 菜食主義の是非を扱った童話「ビヂテリアン大祭」を、「衣装」というキーワードで論じています。 以下、同論文への批評というより、同論文を読んで考えさせられた点を述べます その最大のものは、「登場人物たちの衣…

福沢諭吉 「肉食之説」(1871(明治3)年) その2

今回の『安愚楽鍋』論のテーマは「痛ましさ」の予定だったのですが、のっけからけちがつきました。 仮名垣魯文も影響された福沢諭吉の、「肉食之説」(「の」ではなく「之」でした)より。 ※ 抑も其肉食を嫌ふは豚牛の大なるを殺すに忍びざる乎。牛と鯨と何…