『日本文学』2012年9月号収録論文。
菜食主義の是非を扱った童話「ビヂテリアン大祭」を、「衣装」というキーワードで論じています。
以下、同論文への批評というより、同論文を読んで考えさせられた点を述べます
その最大のものは、「登場人物たちの衣装は動物性なのか」という問題です。
極端な話、毛皮のコートに象牙の装身具をつけた人が菜食主義を論じても、説得力がないのです。
「ビヂテリアン大祭」について言いますと、同論文の48ページに、ビヂテリアン(菜食信者)の側に「厚い粗羅紗を着た農夫」がいる箇所が引用されています。岩波文庫『銀河鉄道の夜』(1966年改版)収録の「ビジテリアン大祭」では197ページで、「ラシャ」がカタカナ表記になっています。
いずれにしても、羅紗(ラシャ)は羊毛製です。
「チーズやバターやミルク、それから卵などならば、まあものの命をとるというわけではないからさしつかえない」(岩波文庫186ページ)という「わりあい穏健な考え」のビヂテリアンならば、羊の毛を刈って衣類にするのも許されるのかもしれません。カイコを殺して取る絹は問題でしょうけど。
「自然と共存する」ことのむずかしさについて語りたかったのです。
ナイロンなどの人工繊維の普及は、衣類に関する限り、動物を殺す必要を減らしました。同じように、無生物から食料を合成する方法も、誰か考えていないものでしょうか。