『丸山真男全集 十四巻』(岩波書店 一九九六)の三〇六~三〇九ページあたり。
福沢諭吉『文明論之概略』中に、「戦争は独立国の権義を伸ばすの術」とある点について、丸山がこれまで論じて来た福沢の軍事ナショナリズム批判(玄関に二十インチ砲を備えても……ってやつですね)と矛盾するのではないか、という読者の不審に答えて、丸山は福沢をこう擁護します。
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なによりある種の戦争が国際法上で違法(傍点)とされるようになったのは世界的にきわめて最近のことだ、という単純な事実を忘れてはなりません。
(略)
もちろん、戦争にたいする宗教的な、あるいは倫理的な否定は以前からあり、「永久平和論」の構想もサン・ピエールとかカント以来いろいろと出ておりましたが、(略)現代の、とくに国際戦争が不断に核戦争化の危険を内包するにいたった今日のイメージを、十九世紀に投影することは著しく非歴史的なのです。
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残念ながら賛同できません。セクハラが違法化されるようになったのはきわめて最近のことだからといって、セクハラを賛美する前近代人を擁護できないのと同じように、あるいはそれ以上に、戦争を賛美する前近代人を擁護できるとは思いません。
もう一つ、博識なる丸山真男は当然知っていたはずですが、「文明論之概略」と同時代の日本にも、植木枝盛をはじめとして、戦争を倫理的に批判する日本人は何人も存在しました。福沢の戦争礼賛は、歴史的に見ても批判されるべきものと思います。
この点に限り(もしかしたら限らないかもしれませんが)丸山は福沢を擁護しそこなっているようです。