核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

戦争がないのは惰弱の証拠?

 諭吉の悪口を書けば、諭吉が逃げる。かもしれませんが、書かずにはいられないので。
 『文明論之概略』中、日本仏教がいかに政府の威力に依存してきたか(そこまでは同意)、西洋のような独立心に乏しいかを長々と書いた後に。

   ※
 古来日本にて宗旨のみのために戦争に及びしことのきわめてまれなるを見ても、またもって信教者の惰弱(だじゃく)を窺い知るべし。その教えにおいて信心帰依の表に現れたるところは、無智無学の田夫野媼(でんぷやおう)が涙を垂れて泣くものあるに過ぎず。この有様を見れば、仏法はただこれ文盲世界の一器械にして、最愚最陋の人心を緩和するの方便たるのみ。
 (福沢諭吉『文明論の概略』『日本の名著33 福沢諭吉中央公論社 一九六九 二〇三ページ)
   ※

 差別的な語が見られ、それが著者の差別的意図によることも明白ですが、歴史的史料としてそのまま引用しました。何が日本の名著だという気もしますが、『福沢諭吉全集』『福沢諭吉著作集』ともに近場にはないので。論文にする時には全集か著作集のどちらかで統一します。
 宗教戦争がまれなのが惰弱の証拠なら、悲惨な宗教戦争にあけくれた宗教改革期のドイツなんかは、輝かしい自由と独立のお手本なんでしょうか。ほんとにそう言いかねないな。