核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福地桜痴

饗庭篁村の『女浪人』劇評(予定)

少し、吉本隆明から離れます。 あえばこうそん。はじめて聞く方も多いかとは思いますが、明治時代には小説家・演劇評論家として高名だった人です。私もその劇評を読むのは今回が初です。

大橋裕美「榎本虎彦の劇作法―『経島娘生贄』における「趣向」と「作為」」(『演劇学論集』 二〇〇七)

近代日本文学に少しばかり通じている以外は、私は何のとりえもない人間でして。 数多い苦手なジャンルの一つに、歌舞伎があります。テレビで観たことさえありません。で、ちょうど榎本虎彦作、中村芝翫主演の、『女浪人』の二年前に同じ歌舞伎座で上演された…

歌舞伎『女浪人』中の土方歳三

近藤勇とくれば土方歳三。歌舞伎『女浪人』では該当する役を、二代目市川猿之助が演じ、述懐しています。 ※ 今度の歌舞伎座では辻形由蔵(つじかたよしざう)といふ役ですが、あの伏見町の戦争の場で、薩州方と大いに戦つてみんなを斬つてしまふといふ勇まし…

福地桜痴、近藤勇と立ち合う

『燃えよ剣』映画化に便乗して、新選組ネタを一つ。 ※ 或時近藤勇が福地に向ひ『君は洋学出身の人に似合ず剣道の嗜みが有ると〇〇〇が咄して居た、一本願はうぢや無いか』と云ふから居士は一向に剣道の心得が無いと弁解したが近藤は中々承知を仕無い、『他の…

榎本虎彦『桜痴居士と市川団十郎』(一九〇三)

『女浪人』の脚色者が原作者を語った書。『女浪人』への言及は見つかりませんでしたが、前から探していた逸話の記事が見つかりました。 主人公不要論と弦斎論。語り手は福地桜痴です。 ※ 劇(しばゐ)には主人公が不必用 今の文学者は二言目には此劇には主人…

中村芝翫(なかむらしかん)

一九一一(明治四四)年六月の歌舞伎『女浪人』で主演したのは、五代目中村芝翫(1866~1940 1911年11月に五代目中村歌右衛門を襲名)でした。 その中村芝翫の八代目が、NHKドラマ『晴天を衝け』に岩﨑弥太郎役で出演しているそうです。最近テ…

スポンサーが強力すぎると

歌舞伎『女浪人』には、原作には出てこない西園寺公望(さいおんじきんもち)をもじった名前の公卿が出てきます。上演当時の前総理大臣であり、二か月後にまた総理になる大物政治家です。で、 ※ 歌舞伎座の一番目で羽左衛門が西園寺侯に扮するにつき侯の平生…

ハッチオン『アダプテーションの理論』(晃洋書房 二〇一二)

ブラッドベリの発言をコピーしそこねたのは痛恨のミスでした。 コピーした部分からこれはという箇所を。 ※ フォルマリズムの批評家、新批評家、構造主義者、ポスト構造主義者らが一様に半世紀にわたって芸術家の意図と解釈との関連性を批判的に放棄してきた…

柄谷行人『柄谷行人の現在 近代文学の終り』(インスクリプト 二〇〇五)

かつては柄谷氏を尊敬していたこともあったんだけど(『探究3』のころは)、この本には賛同できませんでした。 ※ 写真が出現したとき、絵画は写真ができないこと、絵画にしかできないことをやろうとした。それと同様のことを、近代小説は映画が出てきたとき…

川西政明『小説の終焉』(岩波新書 二〇〇四)

二葉亭四迷の『浮雲』(一八八七~九一)から約百二十年。敗戦をはさんで前期六十年と後期六十年。『浮雲』以来の小説の主題は書き終えられたというご主張です。 いくつもの「〇〇の終焉」の中に、「戦争の終焉」と題する章もありましたが、戦争そのものがな…

歌舞伎『女浪人』同時代評

『都新聞』一九一一(明治四四)年六月二十四日三面。 青々園「歌舞伎座の六月」。 「一番目の「女浪人」は維新の大政返上から伏見の戦争までをスラ〱と書いたもので謂はゆる「女浪人」といはるゝ芝翫の仲居お信が主人公のやうではあるが、芝居としてはアツ…

内藤千珠子『帝国と暗殺―ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社 二〇〇五)

最近、管野須賀子がちょっと気になってまして。彼女が何を書いたかもさることながら、彼女がどう書かれたのかも。 で、「明治天皇を暗殺しようとした女」についての当時の記事とその考察を求めて、内藤著をひもといたわけですが。 さぞかし「病気」や「魔性…

今回第一の収穫

今回の調査旅行の眼目は、歌舞伎『女浪人』についてでした。 まず脚色者(てかアダプテーション?リライト?)は、福地桜痴の弟子だった榎本虎彦(号は破笠。1866~1916)と判明。『歌舞伎』133号より。 お信を演じた中村芝翫(なかむらしかん。…

ハリスに直接聞いてみた福地桜痴

福地桜痴『幕府衰亡論』(筑摩書房『明治文学全集11 福地桜痴集』)より。 アメリカの総領事ハリスというと、無知な江戸幕府要人を脅して、無理やりに不平等条約を押し付けたみたいなイメージがあります(少なくとも明治二五年にはそうだったようです)。…

福地桜痴の村井弦斎評価

「言文不一致派の文学史」というゼミ発表を読み返していたら、福地桜痴が村井弦斎を評価した一節が見つかりました。 ※ 今日の様に談話(はなし)と文章とが離れて居ては幾ら文学文学と言ても駄目だ。何でも日常して居る談話の詞遣(ことばづか)ひが正しく成て、…

結局、国会図書館に行かねば

一九一〇(明治四三)年五月上演の歌舞伎 一九一一(明治四四)年六月上演の歌舞伎 一九一一(明治四四)年一一月の映画 この三つの劇評と、できれば台本を徹底的に調査せねばならないようです。

福地桜痴『女浪人』を三行でまとめると

幕末、婚約者を暗殺された松川お信は、「女浪人」となって、非暴力的に各勢力の暗殺を止めて回る。大政奉還の裏で討幕の密勅が出されたことを知り、明治天皇を激しく非難する。維新後は官職につかず、英国に行き、日本の開化を見守るのだった。 重要なエピソ…

歌舞伎『女浪人』は二つあった?

私が先日報告したのは一九一一(明治四四)年六月上演の筋書でしたが。 早稲田大学演劇博物館のデジタルアーカイブを注意深く見ると、一九一〇(明治四三)年五月上演の『女浪人』もあるようです。こちらは筋書は残っていませんが、図版を見ると、お信らしき…

文学を殺すものは何か

挑発的な題ではありますが、今回の論文はこれでいこうと思います。 「文学は死んだ」「文学は終わった」とはよく言われますが。 じゃあ、文学をもう一度よみがえらせる方法はないのか?そういう前例はないのか? 実は明治の前期にも、「文学極衰論」というの…

「筋書 女浪人」(一九一一(明治四四)年六月)、読み終えました

ちょwwwおまwwwwwという感じの、不謹慎な笑いがこみ上げる台本でした。 蛇に足を書き足すだけでは飽き足らず、いろいろ足したらキメラと化したような。 これは論文になります。「野ばら」論も「烏の北斗七星」論も第二の小林秀雄も凍結して、しばら…

早稲田大学文化資源データベース様にて

演劇『女浪人』の筋書らしきものが見つかりました。 福地桜痴原作なのは間違いないのですが、かなり短縮かつ脚色されているらしく、坂本龍馬や山内容堂や西園寺公望らしき、原作には出てこなかった人物が仮名で登場します。字が小さいので印刷してじっくり読…

「戦う女」「演説=議論する女」の系譜

昨日扱った柳瀬論文の注38には、「福地がなにがしかの西欧由来の「演説する女」表象の「種本」を持っていた可能性はどうか、など検討の余地はいくつも残るが別稿に譲る」とあります。 確かに福地桜痴『女浪人』(一九〇二)がイギリスあたりの女権小説をモ…

柳瀬善治「「戦う女」・「演説=議論する女」・「慈愛の女」 雑誌『台湾愛国婦人』収録講談速記の女性表象」

『植民地文化研究 : 資料と分析』 ((19), 199-212, 2020)掲載。 題名には「福地桜痴」とも「女浪人」とも書いていないのですが、同作品に注目した論文です。 同論二〇三頁にあるように、『台湾愛国婦人』誌の講談「愛国婦人」は、福地桜痴『女浪人』をトレ…

『文豪ストレイドッグス』15巻(予告)

『文豪ストレイドッグス』という漫画の15巻に、「福地桜痴」が出て来るそうです。 今度は「福地桜智」ではなく。 ※ 福地桜痴. 「猟犬」隊長。神刀・『雨御前』を与えられた生ける伝説。異能力は『鏡獅子』。 ※ 今度上京したら探してみます。

福地桜痴論、残念ながら不採用でした。

書庫「近代化言説」は、「福地桜痴」と改名して残しておくことにします。 『空中征服』論の時のように、再起の機会があることを信じて。

田畑忍「福地桜痴と主権論争」(『 同志社法学』1949年6月)

明治一五年前後の新聞各紙より、主権論争の概観をまとめた論説。 ※ 福地の主権在君説に対して猛烈に反対論が湧き起つた。卻ち先づ「束京横浜毎日新聞」を牙城とする肥塚龍・沼間守一・島田三郎等の論客は、立憲政に於ける主権は君主を含む国会にありと唱へて…

福地桜痴『同行二人 外国巡礼』(『東京日日新聞』1889(明治22)・1・3~3・15(中絶))

全集・単行本類未収録の、読めるのは東京日日新聞だけな小説。 読む前は期待しました。あの岩倉使節団も含めて四度の洋行を体験した福地の『外国巡礼』。 さぞかし西洋と日本のカルチャーギャップや、さらには西洋文明批判にあふれたものと想像していたので…

「文明社会の快楽」(『東京日日新聞』一八八三年一二月六日)

題名にひかれて複写したものの、「吾曹」名義でなかったために使えなかった社説。 未開人の性質は情欲が主であり、その快楽は情欲を満足させることにある。一方、文明人にとっての快楽はそうではなく、数千百年の後を遠望するものである…… といったことを、…

吾曹を探せ

『近代文学研究叢書8』の書誌情報には、一人称が「吾曹」じゃない(≒福地じゃない?)社説がけっこう紛れていまして。 最初はマイクロリールの映像で判断しようとしたのですが、なにぶん眼が疲れて。とりあえずリストにあるやつを全部コピーしてもらって、…

32枚だか33枚だか

2枚ほど足りない気もしますが、これでよしとしましょう。当初の問題点はだいぶ改善されたようです。