核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福地桜痴

ひと仕事完了。

仕上げにじっくりと時間をかけられそうです。

「政治ハ道理ニ由ルベキ乎将タ輿論ニ従フベキ乎」(『東京日日新聞』一八七八(明治一一)年五月二四日)

西洋文明のさらにその先を望見する、壮大な論説。判読不能な文字が数か所あるのが惜しまれます。以下、判読できた箇所のみ要約します。 蛮野の肉体世界から文明の智力世界へとへと進んだ人類は、やがて徳義の黄金世界に到る、と著者は主張します。 しかし、…

「万国公法ハ争利世界ニ行ハルベキ乎」(『東京日日新聞』一八七八(明治一一)年四月五日)

「万国公法ハ法ニ非ザルナリ」で始まる、無署名の社説。 なぜなら万国公法にはそれを守らせる主権者がいないから……というわけで、西洋諸国がいかに万国公法など顧みず、自国の利益のみを追求してきたかを例示しています。 ここまでは事実認識として正しいと…

「宇内万国ノ現状」(『東京日日新聞』一八七九(明治一二)年六月九日)

宇内万国(世界各国)の現状を顧み、南アフリカのズールー戦争、南米チリの戦争、アフガニスタン、清魯の紛争などを「我輩」が憂えるという内容。 福地桜痴が書いていてもおかしくない文章ですが、一人称が「吾曹」ではないため、論文には引用せずここに紹介…

「我輩」はボツにする。

今回の調査でコピーした東京日日新聞の社説には、よく見ると一人称が「我輩」「予」なのがいくつかありまして。 捨てがたい論も多いのですが、疑わしきは福地にあらずの方針で今回はボツにすることにしました。 いずれ東京日日新聞全体の平和主義を論じたく…

トンネルを反対から掘る。

歴史学系の方々による明治初年度の福地研究が進む中、文学研究者である私は福地晩年の小説から攻めて行こうと考えています。うまくトンネルがつながらんことを。

福地桜痴の真筆問題

福沢諭吉全集に福沢のじゃない社説がまぎれている、という話は前に書きましたが、福地にも似たような問題がありまして。 福地は吾曹(ごそう)という変わった一人称を愛用していて、従来は吾曹なら福地筆とされていたのですが、岡安儀之氏の最新の研究による…

今さら「丸山真男をひっぱたきたい」を読んでみた

まさに抑圧移譲の典型、という印象しか受けませんでした。

抑圧移譲の代替案は

結局のところ、抑圧者の本体を見極め、それと非暴力的に戦う、という以外にないようです。 平凡な結論と思われるかも知れませんが、明治の日本でそれをやろうとした人は実にまれです。 おそらくは今日でも。 今夏見に行く予定の福地桜痴論説が、その手がかり…

建設的な批判に向けて

私が今書いている論文は、福沢諭吉および丸山真男への批判を含まざるを得ないわけですが、批判だけにとどめるつもりはありません。 両者は「抑圧移譲の具体的な代替案を提示できなかった」と私は考えるわけですが、それでは抑圧移譲(欧米にやられたことをア…

徴兵忌避者が国家主義を語るということについて

おなじみ『日本の名著』で、陸羯南と三宅雪嶺を読んではみたのですが、引用したくなる魅力的なフレーズには出会えませんでした。空虚、という印象を受けました。 特に陸羯南は、経歴によれば徴兵のがれの経験者だそうですが、彼の国家論からはそうした負い目…

丸山真男『「文明論之概略」を読む』の戦争観について

『丸山真男全集 十四巻』(岩波書店 一九九六)の三〇六~三〇九ページあたり。 福沢諭吉『文明論之概略』中に、「戦争は独立国の権義を伸ばすの術」とある点について、丸山がこれまで論じて来た福沢の軍事ナショナリズム批判(玄関に二十インチ砲を備えても…

高木健夫『新聞小説史 明治篇』(国書刊行会 一九七四) より 渡辺台水の小説

日本初の平和主義論「宇内平和主義ノ進歩」の著者(と推定される)、渡辺台水が小説も書いていたとのことです。「東海散士、大毎主筆に」の章より。 ※ 『大毎』(引用者注 大阪毎日新聞)連載の小説は、(略)渡辺台水が田口年信、歌川国峰の挿画で「実録・…

中岡三益著「「福地源一郎のエジプト混合裁判所調査―近代日本・アラブ関係史の一齣―」(国際商科大学論叢第二十二号)

あまり知られていないのですが、福地桜痴は初めてイスラムと接触した日本人でして。 岩倉使節団に随行した帰りに、オスマントルコ帝国やエジプトに立ち寄って調査をしています。 で、表題の中岡論文を読んでみたのですが、法律にうとい福地ははかばかしい成…

桜痴全集は存在しました。

以前、福地桜痴は全集がないために損をしている、といったことを書いてしまいましたが、一応、『桜痴全集』『桜痴集』という全集は存在しまして、しかも近代デジタルコレクションで読めました。お詫びして訂正します。 とはいえ、『東京日日新聞』や『日出国…

福地桜痴を罵倒する夏目漱石 その2

漱石の言うことだから正しいとも限らない、という一例。 ※ 一九〇六(明治三九)年一月六日 加計正文宛 源一郎福地といふ男が死んだ。今の学士や何かは学問文章共に出来るが女を口説く事と借金の手紙をかく事を知らないといふ演説をやつた男ださうだ。死んで…

福沢諭吉『通俗国権論』「外戦やむを得ざること」

福沢諭吉よりもっとひどい国粋主義者や侵略主義者もいまして、福沢はむしろ穏健な部類でした。 しかし、「侵略主義者としては穏健な部類」だからといって、平和主義者にはならないことは確かです。 ※ 一国の人心を興起して全体を感動せしむるの方便は外戦に…

戦争がないのは惰弱の証拠?

諭吉の悪口を書けば、諭吉が逃げる。かもしれませんが、書かずにはいられないので。 『文明論之概略』中、日本仏教がいかに政府の威力に依存してきたか(そこまでは同意)、西洋のような独立心に乏しいかを長々と書いた後に。 ※ 古来日本にて宗旨のみのため…

玄関大和の主砲!

国力の底上げを考えずに、軍備だけを増強することはできないという近代化言説の文脈で。 ※ 譬えば裏表に戸締りもなくして家内狼藉なるその家の門前に、二十インチの大砲一座を備うるも盗賊の防御に適すべからざるがごとし。 福沢諭吉『文明論の概略』 一八七…

福沢諭吉『学問のすすめ』より 西洋の貧富不均等への批判

福沢諭吉も単純な西洋心酔者ではないので、とり入れてはいけない例も示していました。 ※ 西洋の文明もとより慕うべし。これを慕いこれに倣わんとして日もまた足らずといえども、軽々これを信ずるは信ぜざるの優に若かず。彼の富強はまことに羨むべしといえど…

福地桜痴の『東京日日新聞』論説

『近代文学研究叢書 8』をもとに、戦争や文明論に関わる論説をリストアップしてみました。 ※ 東京日日新聞 明治9(1876),6、23~27 トルコ廃帝、ヨーロッパ文明進歩の総論 同 明治10(1877)、10,10~12 欧州文明之一本質 同 明治…

福沢諭吉の日清戦争観

福地桜痴も勝利の報を聞いて「快哉!」とか叫んだそうですが。 ※ 日清戦争など官民一致の勝利、愉快ともありがたいとも言いようがない。命あればこそコンナことを見聞するのだ、前に死んだ同志の朋友が不幸だ、アア見せてやりたいと、毎度私は泣きました。実…

福沢諭吉「華族を武辺に導くの説」

福沢諭吉全集の無署名論説、特に脱亜入欧関係の論説は、福沢の真筆であるかどうかがしばしば論争になっていまして。私に真贋を見抜く能力などないので、今後福沢を扱う時は署名ありに絞ろうと思います。 今回引用する「華族を武辺に導くの説」は、福沢諭吉の…

福地桜痴を罵倒する夏目漱石

昨日はつい福沢諭吉の悪口を書いてしまいましたが、対する福地桜痴が欠点のない人物だったかというと、そんなこともないわけで。色々とやらかしています。批判すべき点も、実際に批判されることも多い人物です。 以下、菅原健史『明治の平和主義小説』にも引…

福沢諭吉『文明論之概略』「西洋の文明を目的とする事」

福沢諭吉が戦争を「世界無上の禍」と断じた文章。そこまではいいのですが、問題はそのあとです。 近代デジタルコレクションより、岩波文庫版から引用しました。 世界各国を「野蛮」「半開」「文明」に三分した文章の後に。 ※ 戦争は世界無上の禍なれども西洋…

福地桜痴「帝国社会主義」より 西洋文明の不平等への批判

福地桜痴の西洋文明批判は、戦争に対する批判のみにとどまりませんでした。 今度は一九〇一(明治三四)年。近代化がもたらす貧富の不平等に対して、社会主義の主張が日本でも起こり始めた頃。ドイツ語を読めず、マルクスを読んだ形跡もない桜痴も、自分なり…

福地桜痴〔欧州文明ノ一本質〕より 西洋文明批判

戦争にあけくれる西洋文明に対し、福地桜痴はどのような態度を表明していたか。 ギゾーがフランスを文明の集点(原文のまま)なりとし、多くの論者がそれに同意していることに対して、フランスの度々兵乱にあけくれる歴史を指摘して。 ※ 而して其の所謂文明…

またまた書庫増設

「近代化言説」の項を設けました。今回はいつもの作品論ではなく、広い視野からの論文を目指します。

福沢諭吉『福翁百余話』より「立国(十一)」

福沢諭吉が日清戦争を論じた「文野の戦争」は有名ですが、彼は平和主義をどのように見ていたのか。 あまり引用されない一節を紹介します。平和主義という語は使われていませんが、「一視同仁」「大同の主義」がそれにあたると思われます。 ※ 百千年来、世に…

『忠誠と反逆』自体に異議はないけど……。

「自我の内面における忠誠構造からいうと、非戦論者の「志士仁人」は無関心派と鋭く切れて、むしろある種の(引用者注 「ある種の」に傍点)主戦論者(たとえば山路愛山や『日本新聞』同人など)に近く位置するのである」(丸山真男『忠誠と反逆』一九六〇 …