核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福沢諭吉『福翁百余話』より「立国(十一)」

 福沢諭吉日清戦争を論じた「文野の戦争」は有名ですが、彼は平和主義をどのように見ていたのか。
 あまり引用されない一節を紹介します。平和主義という語は使われていませんが、「一視同仁」「大同の主義」がそれにあたると思われます。

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 百千年来、世に人傑なる者を出して、一視同仁四海兄弟など唱へて仄に大同の主義を洩らしたるものなきに非ざれども、実際に行はれざるのみか、事は正反対にして、一視同仁は扨置き、世界の兄弟相接して、奪はざれば奪はれ、殺さゞれば殺さるゝの獣劇を演ずるこそ、是非なき浮世の運命なれ。されば今世の立国者が外交と云ひ国防と称するものは、所謂正当防御の必要に促さるゝことにして、即ち禽獣に接するに禽獣を以てするの法なれば、一視同仁など之を口にするも迂闊の談にして、今は生存競争の四字を以て立国の格言と定めたり。
 『福翁百余話』(一九〇一)より「立国(十一)」 引用は筑摩書房『明治文学全集 8 福沢諭吉集』 一九六六 二三五ページより)
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 ……殺さなければ殺されるんだから仕方がない。一視同仁など、うかつの談。
 といったあたりが福沢の意見のようです。後段では世界を病人に、生存競争をその病人にやむをえない薬にたとえてもいます。
 一九〇一(明治三四)年といえば日清・日露戦争の中間期だし、これくらいは当時としては妥当なんじゃないかと思われる方もいるかも知れません。
 例によって、次は「当時としては妥当」じゃない、福地桜痴あたりの意見を紹介してみます。