核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福沢諭吉「華族を武辺に導くの説」

 福沢諭吉全集の無署名論説、特に脱亜入欧関係の論説は、福沢の真筆であるかどうかがしばしば論争になっていまして。私に真贋を見抜く能力などないので、今後福沢を扱う時は署名ありに絞ろうと思います。
 今回引用する「華族を武辺に導くの説」は、福沢諭吉の署名と印入りで岩倉右大臣にあてられた文書。これなら弟子の代筆とは言うまいな。

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 貪利争権、今の禽獣世界に於て、苟も一国の社会を成して其独立の体面を保護するに兵力の要用なるは特に喋々の弁を俟たず。諭吉嘗て言へることあり、兵は有る道理を護するの力に非ずして無き道理を造るの器械なりと。
 (以下、日本人民も兵に力を用いるべきこと、そのために華族を武辺に導く必要性が論じられる)
 福沢諭吉華族を武辺に導くの説」(明治一二年二月七日 筑摩書房『明治文学全集8 福沢諭吉集』
 一九六六 三五六ページ)
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 ……兵は「無き道理を作るの器械」であるから、「日本人民も此に注意して力を用ゆべきは無論」。それが諭吉さんの意見です。それが「禽獣に接するに禽獣を以てするの法」(『福翁百余話』)。
 福沢諭吉が悪人だとか冷酷だとか言うつもりはありません。しいて言えば悪いのは戦争に特化した西洋近代文明であって、福沢は日本が生き残るためには西洋文明を真似るしかないと言っているわけです。
 ただ、そうではない日本の針路を示そうとした人もいるわけで。
 戦争と競争にあけくれる「欧州の文明は忌避すべきの文明なり」と喝破した福地桜痴。問題は、彼の思想がどれほどの強度を持ちえたかです。ありがちな前近代日本への回帰ではない、平和への道を示せたかどうか。