核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福沢諭吉『文明論之概略』「西洋の文明を目的とする事」

 福沢諭吉が戦争を「世界無上の禍」と断じた文章。そこまではいいのですが、問題はそのあとです。
 近代デジタルコレクションより、岩波文庫版から引用しました。
 世界各国を「野蛮」「半開」「文明」に三分した文章の後に。

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 戦争は世界無上の禍なれども西洋諸国常に戦争を事とせり盗賊殺人は人間の一大悪事なれども西洋諸国にて物を盗む者あり人を殺す者あり
 (略。数千百年後の世界人民はそれらを克服するかも知れないが)
 西洋諸国の文明は以て満足するに足らず然ば則ちこれを捨てゝ採らざる乎これを採らざるときは何れの地位に居て安んずる乎
 (略。野蛮や半開に留まるも不可、数千百年後の太平安楽を待つも不可)
 今の欧羅巴の文明は即ち今の世界の人智を以て僅に達し得たる頂上の地位と云ふ可きのみ、されば今世界中の諸国に於て仮令ひ其有様は野蛮なるも或は半開なるも苟も一国文明の進歩を謀るものは欧羅巴の文明を目的として議論の本位を定めこの本位に拠て事物の利害得失を断ぜざる可からず
 (福沢諭吉文明論之概略』「西洋の文明を目的とする事」 一八七五)
    ※

 ……現時点での頂点である西洋文明を目標とする以外にない。たとえその西洋文明が「常に戦争を事」としていようとも。それが福沢諭吉の結論です。
 「何のために?」と聞かれたら、福沢はおそらく「独立のために」と答えるでしょう。しかし、戦争にあけくれる西洋文明を真似して、より「野蛮」とされる国を食い物にして(福沢は日清戦争を「文野の戦争」と呼んで正当化しています)得られる独立は、はたして誇れるものでしょうか。
 福沢諭吉の文章にはむやみと「独立」という語が出てきますが、その「独立」とは結局、食われる側よりは食う側になれ、と言っているように思えてなりません。人の下になりたくなかったら学問をしろ。植民地になりたくなかったら支配する側になれ。という論理です。
 福沢諭吉を批判するのが目的で、この文章を書いているわけではありません。ただ、「後世の日本に絶大な影響を与えた」のが福沢諭吉ではなく別の人物だったら、近代日本史はどうなっていたか、といったことを考えているだけです。