核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福地桜痴「帝国社会主義」より 西洋文明の不平等への批判

 福地桜痴の西洋文明批判は、戦争に対する批判のみにとどまりませんでした。
 今度は一九〇一(明治三四)年。近代化がもたらす貧富の不平等に対して、社会主義の主張が日本でも起こり始めた頃。ドイツ語を読めず、マルクスを読んだ形跡もない桜痴も、自分なりに社会主義について考えていました。
 ある論者はいわく、欧州今日の富強は貧富懸絶の効果なりと。アリストパネスの「プルートス」に出て来た貧乏神みたいな議論ですが、桜痴はそれに異議を唱えます。 

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 我帝国の政治家は何を苦みて新に彼貧富懸絶の風を伝播し、養成し、勧誘し、保護し、帝国の社会をして彼弊害に倣はしめんと希望する乎。政治家は曰く、是欧州の文明を我国に移植せんが為なりと。果して然らば、欧州の文明は忌避すべきの文明なり。
 福地桜痴「帝国社会主義」『日出国新聞』一九〇一(明治三四)年二月二、四、六、七、八、十一、十二、十三日 筑摩書房『明治文学全集11 福地桜痴集』一九六六 三九八ページより引用
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 ……西洋文明の悪いとこまで真似してどうするんだ。という意志がはっきりうかがえます。
 西洋文明の無批判な物まねではなく、さりとて旧時代への復古でもない、平和と平等をめざす近代化。それが桜痴の立場だったわけですが、理解者は当時でさえ少なかったようです。
 私も、「帝国社会主義」というネーミングはどうかと思います……。