核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

兵備の平和、真正の平和

 一八八四(明治一七)年、福地桜痴はこう喝破しました。

 

 「欧州今日の平和は真正の平和に非ず兵備の平和なるのみ」

 

 彼の平和主義史における意義は、軍事力の均衡によって生じる「兵備の平和」と、軍事力によらない「真正の平和」を区別したことにある、と思います。そして、当時の日本が必死に追いつこうとしていた西洋文明の本質を「兵備の平和」にすぎないと見抜き、そうではないタイプの平和を模索していたことも。

 福地という人は先見性はあっても意志が弱いのが欠点で、その翌日には「平和を唱へ兵備を廃するの説」には即座に同意するわけにはいかない、と書いています。

 兵備によらない平和はいかにして可能か。それが難問でして、木下尚江や村井弦斎といった次世代の平和主義者も、これだという明晰な答えは出せませんでした。私自身も、即座に自衛隊廃止を主張する気にはなれません。何か、兵備に代わる戦争抑止手段

が見つかるまでは。

(追記 過去ログを見直したら一年ほど前にも「兵備の平和と真正の平和」という題で書いていましたが、大事なことなので今回のも残しておきます。「兵備によらない平和」の探求は当ブログの最大の関心事です)