核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大橋裕美「榎本虎彦の劇作法―『経島娘生贄』における「趣向」と「作為」」(『演劇学論集』 二〇〇七)

 近代日本文学に少しばかり通じている以外は、私は何のとりえもない人間でして。

 数多い苦手なジャンルの一つに、歌舞伎があります。テレビで観たことさえありません。で、ちょうど榎本虎彦作、中村芝翫主演の、『女浪人』の二年前に同じ歌舞伎座で上演された『経島娘生贄』の論文がCiNiiで読めたので、参考にさせていただきました。

 清盛の娘で、芝翫演じる小枝が人柱となって命を落とした後、早替わりによって芝翫が重盛となり、父清盛の悪行を諫めて幕となる劇だそうです。

 芝翫によれば、小枝が死にっぱなしでは観客が納得しないこと、小枝と同一の役者が重盛となって清盛を責めることで、劇を落着させることができたと語っています。

 『女浪人』では億川(徳川)将軍とお信が同じ芝翫で、将軍が朝敵と認定された次の幕でお信が「億川の為に」と言いながら撃たれるわけですが、同様の劇作法が働いているのではないでしょうか。