核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

饗庭篁村「劇評 歌舞伎座所感 一番目「女浪人」」(『演芸画報』1911(明治44)年7月号)

 あえばこうそん。一発変換できるけど、明治研究家以外にはほとんど知られていない文学者です。その篁村の、歌舞伎「女浪人」評。

 ・・・・・・この方も確実に、福地桜痴の原作『女浪人』を読まずに評を書いています。

 

 「徳川慶喜公を億川禎喜(おくがはていき)などゝ憚りて有る所、歯がゆいやうなとこもあれど、少しは当時の様子見ゆるはサスガ原作柄なり」

 

 とありますが、原作では徳川はじめ関係者ほぼ全員実名です(芹沢鴨は芹川鴨ですが、あれは桜痴が素で間違えたのでしょう)。その他も、仲居のお信が暗殺を止める場面以外は全面的に違う話になっています。

 まあ、大量に上演される歌舞伎の原作まで一々手が回らなかったのは仕方がないのでしょうが、篁村の批評は、『都新聞』の青々園の批評と比較しても、あらさがし、あげあしとりに終始しています。

 仲居のお信が百両もの大金を持っているのは不自然だ、なんて言ってますが、「これが亡父より託されし銭300文」なんて中途半端にリアリズムな歌舞伎がありますか。

 饗庭篁村の批評からうっすらと浮かび上がってくるのは、批評家という特等席に身を置く者のほめ惜しみっぷり、マウント取りっぷりです。

 ただ、「帝国劇場にもピーシヤラドンドコ劇あれど」とあるのはいい情報でした。幕末ブームだったのでしょうか。また国会図書館で演劇雑誌を見直すことになりそうです。