核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

歌舞伎『女浪人』同時代評

 『都新聞』一九一一(明治四四)年六月二十四日三面。

 青々園「歌舞伎座の六月」。

 

 「一番目の「女浪人」は維新の大政返上から伏見の戦争までをスラ〱と書いたもので謂はゆる「女浪人」といはるゝ芝翫の仲居お信が主人公のやうではあるが、芝居としてはアツケなく例の桜痴居士一流の事実配列に重きを置いた傾きがある、特に黒書院と小御所と二場つゞけて評定を見せるなどは劇として拙き遣り方である」

 (以下、役者の演技への評が続くが省略)

 

 ぬれぎぬです。上記の欠点はすべて榎本虎彦の台本によるものであり、福地桜痴の原作のせいではありません。原作を読まずに評を書いたのでしょうか。

 今回の調査行では、ホワイトとかギンズブルグの歴史学系は、時間がないので読めなかったのですが。

 黒書院(大政奉還を決める会議)と小御所(王政復古を決める会議)とを「スラスラと」連続させ、その劇を「事実」として語るような批評が流布しているとしたら……ちょっと問題です。というのは原作『女浪人』はまさに、大政奉還と王政復古の不連続を問題にしているからです。