核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

日本人民共和国を熱望する大江健三郎

 大江健三郎の『人民日報』一九六〇年六月二六日の発言。

 

 「遠くない将来、必ずこんな日が参ってくる―日本人民共和国の旗が、中国人民共和国の旗といっしょに翻る日が!このような日はもう遠くない。このような未来はもう明日と同じように近づいてきた。これが今度の中国旅行と日本の闘争から得た結論である」

 (王新新「大江健三郎における中国―一九六〇年中国旅行をめぐって―」『比較文学・文化論集』二〇〇二年三月 九頁より引用)

 

 ……「中国人民共和国」は王論のままです。『人民日報』現物は未見なので、国会図書館あたりで探してみます。これぐらいなら原文が中国語でもわかりそうです。

 私としてはそのような「日本人民共和国」には断固反対です。矢野龍渓とかだって共和国を語ってたんだろと言われるかも知れませんが、大違いです。毛沢東独裁と飢餓のただなかにあった中国の旗といっしょに翻るような「日本人民共和国」の旗などとは。

 大江は中国旅行で向こうに都合のいいとこばかり見せられて、目をくらまされてたのかも知れません。それにしても、毛沢東が大江らに言ったという「日本の独立と自由は希望のあるものだ」(王論八頁)なんてのは、悪質なジョークにしか聞こえません。独立は服属である、自由は屈従である、希望は絶望である……。大江は実情を見抜けなかったのでしょうが、一九六〇年の中国は毛沢東の「大躍進」政策の失敗による飢餓のただ中でした。

 古証文と思われるかも知れませんが、大江は中国旅行で得たものを「生涯にわたって担いつづけるであろうところ」と書いています(「『遅れて来た青年』とぼく自身」 大江健三郎『遅れて来た青年』新潮社 一九七〇 四八一~四八二頁 引用は王論一二頁より)。

 もし現在の大江氏が過去の発言を悔いているなら、反省の意を表明してほしいものです。一九六〇年代に社会主義幻想にとりつかれて身を誤った、多くの若者のためにも。