1960年代の大江健三郎が、いかに賛戦・賛核・賛独裁者の人であったか、長々と引用してきました。
大江の紀行文『ヨーロッパの声・僕自身の声』は国会図書館デジタルコレクションでログインして検索すれば手軽に読めますので、もう引用はこれぐらいにしようと思います。
ただ、
「そういう時代だったから仕方ないんじゃないんですか?」
「誰にでもあてはまるんじゃないんですか?」
といったご意見もあろうかとは思いますので、それらへの再反論を書いておこうと思います。
時代の空気、というものは確かにあり、敗戦後の日本ではそれまでの国家主義への反動から、マルクス主義こそ未来の理想、中国や北朝鮮こそ理想の国家といった思潮が起こりました。ソ連や中国の核兵器はきれいな核として美化するのも、大江の独創ではありません。
「誰にでも」とはいえないまでも、多くの人が大江と同じような言動をなしていました。そういう意味では、ことさらに大江だけを批判するのは不当かもしれません。
しかし、一九六〇年の中国の飢餓や、北朝鮮帰国者の悲惨な実態が後に明らかになっても、大江は過去の言動を反省し、取り消す発言を一切しませんでした。核開発についても、福島原発着工中にご自分が何を言っていたのかも懺悔しないまま、他人を責める発言ばかりを繰り返していました。
その無責任、無節操ぶりは、同時代人の中でも群を抜いています。大江健三郎は小林秀雄に匹敵する文学者です。
近代日本の文学史を振り返れば、戦争の時代でも戦争反対を表明し、戦争の止め方を提示し、軍国主義の時代に逆らった文学者は、少数ながら実在しました。大江にその系譜に連なる資格はありません。