核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

近代的自我なんて古い?

 このポストモダンの御時世に、近代的自我の問題なんて、いかにも時代遅れと思われるかもですが。
 近代的自我の問題とは、昭和の一部批評家が矮小化したような、日本文学が西洋文学の水準に追いついているか、といった問題ではないのです。戦争や差別に直面した時、いかに「世間」に逆らって抵抗を貫けるかどうかの問題です。
 平時には自我について語っていながら、戦時には海軍大佐に取り入って戦争を賛美し、終戦後にはそれらの文章を全集から削除した小林秀雄原子力ブーム時には核開発に「まったく賛成」していながら、いざ事故が起きると反原発に転じ、その矛盾について沈黙している大江健三郎。そうした「文学者」は、いくら西洋文学の知識があったにしても、確立した自我の所有者とは呼べません。
 戦争・差別・原発再稼働、そうした世間の動きに抗し続けるためには、この二〇一八年という時代にあっても、確立した自我を持つことは重要です。文学者以外の人にとっても。