モスクワ訪問時の大江はかなり憂鬱な精神状態にあったらしく、訪問前に予定していた、ソ連の核実験への抗議を実行できなかったばかりか、かなり変なことを書いています。日本人の声など世界政治にとどかない、という無力感を書き連ねた後。
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僕は深い無力感の匂いをかぐ思いがした。そして僕はファシストのように、日本人も世界政治の決定の場に出て自分の運命を自分の手に取り戻すためなら、自衛隊を核武装でもするしかないのじゃないかと、めちゃくちゃなことを考えたりもした。
大江健三郎『ヨーロッパの声・僕自身の声』(一九六二 一二七頁)
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さきごろ結党した日本保守党さんなんかが喜んじゃいそうな一節です。
「日本人も世界政治の決定の場に出て自分の運命を自分の手に取り戻すためなら、自衛隊を核武装でもするしかないのじゃないか」(同書一二七頁)
大江はすぐに「めちゃくちゃなこと」と打ち消していますが、上記のようなことをまじめに考えている人はいるのです。日本国内にも国外にも。
そうした考えの背景には、先の大江の述懐のような無力感、外国への劣等感があるのでしょう。今回は大江個人への批判というよりも、再軍備・核武装論に走りがちな心理の一例として引用しました。