核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

山本昭宏『核と日本人』(中公新書 2015)

 「筆者の研究の動機を遡れば、大江健三郎に行き着く」という、1984年生まれの若い著者による、戦後文化の中の原子力言説を概観した新書です。「ヒロシマ・フクシマ・ゴジラ」との副題あり。
 当ブログが何度か引用した、大江の原発推進発言、「核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」(『核時代の想像力』)も、「はじめに」で論じられています。アトムとゴジラ原子力の正と負のイメージの共存は、大江に限ったことではありません。
 ただ、大江についていえば、「核兵器には反対だが平和利用には賛成」ではおさまらないように思うのです。この本では大江についてはもう一か所、『ヒロシマ・ノート』を、政治的な大会ではなく、「個別の被爆者に取材対象を切り替えた」(77ページ)と評価しています。
 ですが、その『ヒロシマ・ノート』にさえ、しばしば物議をかもす以下の箇所があります。

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 中国の核実験にあたって、それを、革命後、自力更生の歩みをつづけてきた中国の発展の頂点とみなし、核爆弾を、新しい誇りにみちた中国人のナショナリズムのシムボルとみなす考え方がおこなわれている。僕もまたその観察と理論づけに組する。
 (「ひとりの正統的な人間」(六四年十二月)『ヒロシマ・ノート』 引用は「大江健三郎同時代論集 2」(岩波書店 1980年 130ページ)による)
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 一応、この文章の後には「しかし」と続きますが、「新しい日本人のナショナリズム」が必要だという、理解に苦しむ文章です。少なくとも、中国の核武装を批判しているようには読み取れません。