核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

石原慎太郎・上田哲「日本の「核」をどうする?」『週刊朝日』1968(昭和43)年8月23日

 「保守・革新の新参議院議員両氏に討論してもらった」(同誌見出しより)とのことですが、両者は原子力推進主義者という点では一致しています。思えば、大江健三郎原子力発電に「まったく賛成です」と講演したのも、同じ1968年でした。
 
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 石原 いま世界は新しい生産技術エネルギーである核をとりいれる時機が到来しつつある。あくまで平和利用のために、積極的に核をとりいれないと、日本はアジアのスペインになる。新しい生産技術エネルギーを、自分の手に入れなかったら、新しい芸術も思想も生まれてこない。これは上田さんと基本的には一致してることでしょう。
 上田 そう、今から五十年くらいたったら、「昔は石油や石炭を燃料に使ってた」って笑い話をする時代がくるわけだ。
 (46~47ページ)
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 約五十年たちました。日本を原子力大国にしたのは、こういう1968年当時の若手政治家たちです。
 ただ上田哲氏の方は、「平和利用とはなにかという内容を、しっかりきめておく必要がある」として、佐世保市民の放射能への不安をまじめに議論しようとしてはいます。石原慎太郎はそれを一笑にふしています。
 (ここで、「佐世保では空中一四四一カウントの放射能が検出」とか、「海中は七四・八カウントですよ。海中に出てますよ。平常値の十五倍以上だ」といった上田氏の発言があるのですが、シーベルトに換算してどれくらいかはわかりません。いずれ専門書で調べてみます。)
 そうした議論を石原慎太郎は一切無視して、「食えばいいんですよ。魚に有害な放射能はないんです」だの「時計に塗ってある夜光塗料にも放射能がある」といった無知な発言を繰り返します。そのあげくが、
 
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 石原 核兵器をもたない原子力潜水艦なんていいじゃないですか。カッコいいよ。
 上田 困るね。冗談じゃない。
 (50ページ)
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 と上田氏にまで「核なし原潜なんて、本気で考えるのかね」と呆れられています。自分で言った「平和利用」という言葉の意味さえ、本気で考えてはいなかったようです。時に三五歳。国会議員。太陽族という歳でもありません。
 こういう人間がふたたび国政に立っていいものか。判断材料として提出しておきます。