核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大江健三郎 『定義集』 朝日新聞出版 2012

 2012年7月30日第一刷発行。「2006年4月18日から2012年3月21日まで、月に一回、朝日新聞朝刊の文化面に連載されました。単行本化にあたって加筆しました」とのことです。
 
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 さて私が『小説の方法』でしていた、悪しき日本現代文の引用は、「電気事業連合会」による広告のものです。
 《「……それにしても、電気がほとんど石油に頼っているっていうのも、何となく不安ではないかしら。他の方法はあるんですか。」
 ―原子力でしょう、ね。
 「それはいいですね。何も爆弾に利用されるばかりが能じゃないんですものね。(中略)もっと安全性のPRをしてほしいと思いますよ。実際、原子力発電は安全なんでしょう。(笑)」
 ―人体に影響を与えるような放射能なんて出ないんですから。
 「それなら、何も問題ないじゃないですか。やっぱり知らないということが、いちばんこわいことですから、知らせる方法を考えてほしいですね。」》
 (「古典基礎語と「未来の人間性」」274~275ページ)
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 以上の文を大江健三郎は「悪しき日本現代文」の典型のように扱っています。その彼が福島原発建設時にいかなる発言をしていたか、何度めかの引用をせねばなりません。
 
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 「現に東海村原子力発電所からの電流はいま市民の生活の場所に流れてきています。それはたしかに新しいエネルギー源を発見したことの結果にちがいない。それは人間の新しい威力をあらわすでしょう。
 (略)
 核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」
   大江健三郎 講演 「核時代への想像力」 1968年5月28日 於 紀伊国屋ホール
  引用は、大江健三郎 『核時代の想像力』 新潮社 2007 120ページより
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 ・・・大江健三郎が根っからの悪人だとは思いません。今や四十代後半になる長男の光氏のために、お気に入りの常夜灯を直してあげた話(「未来をつくるブリコラージュ」184ページ)なんかを読む限りでは。
 (冷静に考えてみたら、その常夜灯にも原子力発電所からの電流が流れてきているんだよなあ。2015・1・29 追記)
 しかし、原発問題に関しては、大江健三郎に誠実さや言葉の重みはまったく感じられません。何らかの理由があって1968年から70年代までに反原発に転じたのであれば、その理由を明らかにすべきです。
 自分の言葉に責任を持つこと。それは私にとっては原発への賛否よりも重大な問題です。