核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

遅塚麗水  「記者生活三十七年の回顧」

  『苦楽』1926(大正15)3~5月。『明治文学全集26 根岸派文学集』筑摩書房 1981(昭和56)より引用。
 村井弦斎村上浪六・原抱一庵とともに報知の四天王と呼ばれた新聞小説家の回顧録です。
 幸田露伴(成行)と幼少時に爆竹であそんだ竹馬の友(むしろ爆竹の友)だった麗水こと遅塚金太郎少年。その露伴ちゃんの縁で森田思軒や矢野龍渓社長に面会し、1889(明治22)年7月1日、郵便報知新聞に入社しました。
 (追記 本文中には上記のように書かれていましたが、巻末の年譜(赤松昭編)によれば1890(明治23)年7月1日入社とのこととあります。郵便報知新聞を確認したところ麗水は1890年7月5日から短編小説を書いていますが、入社した日付は特定できませんでした)
 
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 給料は月に十二圓也、当時の物価は米が一圓に二斗を超えその他もこれに準じて安かった。私は好く社からの帰途に、今もある淡路町の中川といふ牛肉店で飯を食つたことを覚えて居ります。牛肉一人前僅かに金六銭、ロースが八銭でした。二人前に酒一本、飯と新香で二十銭を僅かに超えた程であります。十二圓の俸給は、母に奉じ弟を養ふに十分でありました。(423ページ)
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 その他、村上浪六がたばこ盆で壮士を撃退した一幕や(サンピン待てとか言ったんでしょうか)、郵便報知新聞内での政変(矢野派から尾崎・犬養派へ)なども興味深い話です。この抄録は日清戦争従軍までで終わっていますが、いずれ『苦楽』の原文の続きを読みたいものです。