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―正直に答えていただきたいと、ずっと考えてきたんです(略)
あなた(長江古義人。大江っぽい小説家)はいま
核兵器を持っている大国が、
核兵器を持ち続けること自体に反対なんですね。中国の
核武装に反対したし、フランスの核実験の再開にも反対しました。
そこでですが、あなたは核
保有国が、自発的に
核廃絶に向かって行く、そのプログラムを信じたことがありますか?
―科学者たちの「核の冬」の警告が、冷戦下の両陣営に影響をあたえた、そして
ソヴィエト連邦の崩壊があった。あの時期、ぼくは実際的な希望を持ちました。
―しかし、空しい希望でした(略)あなたが生きていられる間に、世界の
核廃絶が行われるという希望を持ってますか?(略)十年のうちに
核兵器は廃絶される、と考えますか?
―考えません。(略)冷戦の
終結からの数年、ぼくが希望を持っていたのは、その動きが起るだろう、ということでした。しかし今、その考えも棄てました。現在、どの大国も、ソヴィエト後のロシアもふくめて
核廃絶は考えていないでしょう。
358~360ページ
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・・・正直に答えたのはいいんだけど。何も考えてなかったのね。
ここに感想を書く気にもならない「後期の仕事」群の中では、『さよ本』は熟読に値する問題作ではあります。
しかし、半世紀に渡って平和主義者を自称してきた国民的作家の
核廃絶論としては貧しすぎます。
ノーベル賞返せと言いたい。
なお、長江古義人ならぬ
大江健三郎が「中国の
核武装に反対」した事実があるかどうかについては追って調査します。少なくとも、当ブログが再三取り上げてきた『核時代の想像力』では、中国の
核武装を評価する
サルトルを大江は支持していたはずです。
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「昨一九六七年、
サルトルが日本にきましたときに、あらためて中国の核実験についてどう考えるかということをたずねますと、中国が
アメリカの
核兵器のもとで永年やってきた以上、
アメリカの、
核兵器に対抗するためには、
核兵器をもたざるをえないとして、それを事実、もつにいたったことを評価する、という意見でした」
大江健三郎 講演 「核時代への想像力」 1968年5月28日 於
紀伊国屋ホール
引用は、
大江健三郎 『核時代の想像力』 新潮社 2007 111~112ページより
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・・・それが1968年5月クオリティ。寒い時代だ。