核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

田畑忍「福地桜痴と主権論争」(『 同志社法学』1949年6月)

 明治一五年前後の新聞各紙より、主権論争の概観をまとめた論説。

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 福地の主権在君説に対して猛烈に反対論が湧き起つた。卻ち先づ「束京横浜毎日新聞」を牙城とする肥塚龍・沼間守一・島田三郎等の論客は、立憲政に於ける主権は君主を含む国会にありと唱へてこれに対抗した。(略)成島柳北末広鉄腸の「朝野新聞」矢野龍溪・藤田茂吉・犬養毅尾崎行雄等の蟠居せし「郵便報知新聞」はまた主権は君民の間にありと主張したが、これらの人々は改進党の意見を形成するものであった。但し右のうち、末広は自由党の幹部であった。また「輿論新誌」は極端なる主権在民説を唱えるにいたったのである。
 (一三~一四ページ 旧字は新字に改めた)
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 矢野龍渓もさることながら、主権在民説 の「輿論新誌」が気になります。
 それにしてもこの論、戦後にもかかわらず、やけに主権在君説の福地に甘く、その他主権説に辛いのが気にかかります。