核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

岡安儀之「「新聞記者」の誕生 -福地源一郎の自己確認を中心に-」(『日本思想史研究』2012・3)

 ここ数年、きわめてエネルギッシュに福地源一郎(桜痴)の研究をものしていらっしゃる、岡安儀之氏の論文です。Ciniiにて読めます。

 http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/56515/1/0386-8974-2012-44-48.pdf

 「福地にとって言論を通した思想的交流とは、人間同士の対等な関係を前提とした「対話」によって成立するものと考えていたということである」(62ページ)。その「対話」を通して「輿論」を形成していくことが、「新聞記者」の責務である、というのが福地の信念であったという結論です。
 保守派・政府寄りのイメージが独り歩きしがちな、福地の秘められた先進性を照らし出す論の運びは、いつもながら読んでいて快感です。
 岡安氏の最新の論文(「福地源一郎における「輿論」と「国民」 : 華士族をめぐる論争を題材に 」『メディア史研究』2013・09)も可及的速やかに読むことにします。
 私のほうも負けてはいられません。最近弦斎にかまけて桜痴からは遠ざかってましたが、『嘘八百』はそのうち読みます。東雲の巻はだれ気味なので。