核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福地桜痴の村井弦斎評価

 「言文不一致派の文学史」というゼミ発表を読み返していたら、福地桜痴村井弦斎を評価した一節が見つかりました。

 

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 今日の様に談話(はなし)と文章とが離れて居ては幾ら文学文学と言ても駄目だ。何でも日常して居る談話の詞遣(ことばづか)ひが正しく成て、文章と大した差別(けじめ)が無いやうに成らねば立派な脚本を舞台へ上(のぼ)す理(わけ)には行(いか)無(な)い。(略)今の文学者が日本の人情を知ら無いのが極可(いけ)ない。流石に紅葉は知つて居る、弦斎も知つて居る。乃(それ)で一般に其著作を歓迎する。
  「桜痴居士演劇断片」 『文芸倶楽部』 1899・4

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 『食道楽』のはるか前、『日の出島』時代の弦斎への評価です。

 同じ資料にたしか「主人公のいない小説」への言及もあった気がしたのですが……また機会があればメモを探してみます。