去る二〇〇八年、私は「言文不一致派の文学史」と題して、矢野龍渓・福地桜痴・村井弦斎を題材に、なぜ彼らが明治二〇~三〇年代に言文一致運動に迎合しなかったのかをゼミ発表で論じました。
意あまって力たらずの感はありましたが、言おうとしたのは以下のようなことです。言文一致によってしか表現できない「私」小説の領域があるように、文語体によってしか表現できない「公」小説の領域があり、言文一致運動は文学の「公」性、政治性をそぎ落としてしまったのではないかという問いかけです。
晩年の村井弦斎は口語体(言文一致体)の小説も書いてはいますが……なんか違う。なんかパワーが足りないのです。『日の出島』や『食道楽』の頃に比べると。