核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

エイリアンズ間の平和。

 ここでいうエイリアンズとは、さしあたって「異星人たち」ではなく、「異国人たち」「異教徒たち」を意図しています。私が目指している世界平和とは、そういう方向です。

 断じて、世界統一平和なんとかというような、宗教家がめざすような指向の平和ではありません。

 どう違うのかというと。一人の教祖さまや元首さまのもと、全人類を一つの教義のもとに統一する、といった方向の平和は、私に言わせれば不可能なのみならず、危険でさえあると思うのです。そういう種類の平和を目指す団体や国家は、異教徒や異国人に対して極めて残酷になるものです。

 私が想定している平和はそうではなく、異教徒や異国人の存在を認め受けいれるのは当然として、彼ら彼女らから見れば私も異教徒(いや、私は無神論者ですが)、異国人(私は日本国民です)であることを受けいれる、そうした垣根ごし、境界線ごしの平和です。ボーダーレスやバリアフリーではなく、ボーダーやバリアの存在を受け止めた上での平和。

 「世界は一家、人類は皆兄弟」(そういう標語のCMが昔あったのです)というような理想や、国民国家否定論に立つ方から見れば、私の平和観は志が低いと思われるかも知れません。しかし、それは私なりに人類の歴史を顧み、人間集団間の戦争をなくす方法について熟慮した結果です。

 今、私は小川未明の童話「野ばら」を読み、戦争と文学についての論文を書いているわけですが、どうもこの童話も、ボーダーレスな平和ではなく、ボーダーごしの平和について語っているような気がします(今のところですが)。いつか論文を書く予定の、石川啄木の小説「我等の一団と彼」もまた。

 小川未明石川啄木が言ってることだから正しいってもんでもないでしょうが、今の私はエイリアンズ間の平和、人間集団の境界線ごしの平和に強い関心を抱いています。