西川長夫『国民国家論の射程 あるいは〈国民〉という怪物について』所収、「国民国家と異文化交流」(初出一九九七)より。見過ごせない文章を見つけました。
「異文化交流の矛盾は、基本的には国民国家の矛盾に由来する」との見出しつきで。
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近代以前の、あるいはウェストファリア条約(一六四八年)以前の国家では、中心的な権力は存在しても国境線が現在のように明確でなく、異文化交流はより自由であったと考えられます。
(一〇八頁)
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ウェストファリア条約以前は、異文化交流は現在より自由だったと西川は考えます。
さてクイズです。ウェストファリア条約以前を何というでしょうか。京都大学を出てパリ(ソルボンヌ)大学に留学した西川長夫はもちろんご存じだったはずです。
答えは「三十年戦争」(一六一八~一六四八)。ウィキペディアの同項によれば、
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「最後で最大の宗教戦争」ともいわれ、ドイツの人口の20 %を含む800万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つとなった。
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カトリックとプロテスタントという、キリスト教徒どうしの異文化が起こした「人類史上最も破壊的な紛争」です。何が自由な異文化交流でしょうか。
あたりまえですが、国民国家以前だって戦争や差別や異文化抹殺はあるのです。国境線が明確でないということは、いつ隣国の軍隊が占領しに来てもおかしくない状態なのです。
ウェストファリア条約の条文はネットで公開されていて、流し読みしてみました。この条約が締結されたことで、プロテスタントの信仰の自由が認められ、各国の国境が確定され、一応の平和が訪れたわけです。哲学者デカルトも、「平和の訪れ」を書き、凄惨な三十年戦争の、終結を祝っています。
デカルト 「平和の訪れ」 (1649 引用は『デカルト著作集 4』 白水社 1973 より) - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com)
思えばカトリックのデカルトがプロテスタントのスウェーデン女王からのお招きに応じる、なんていう自由な異文化交流が出来たのも、ウェストファリア条約が三十年戦争を終わらせてくれたおかげです。
国民国家なんてない方がいい、という方々は、国民国家以前の史料をよく読むことをおすすめします。「と考えられます」なんて憶測に頼らずに。
追記 「三十年戦争 カロ」で画像検索すると、ウェストファリア条約以前の、西川長夫が「異文化交流はより自由であった」と考えた、国民国家以前を描いた銅版画が出てきます。カロ・・・・・・じゃなくてグロ注意。