核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

西川長夫と国民国家批判についての懐疑と、再読計画

 国民国家批判、というのは私が研究生や大学院生をしていた2000年代にはやった理論です。今でも流行っているかも知れません。

 私は当時から、国民国家批判論には懐疑的でした。戦争も差別も郵便ポストが赤いのも、国民国家が悪い、という結論にすれば一応の論文にはなる時代だったわけですが、それは果たして生産的なのか。

 国民国家以前の江戸幕府専制国家や宗教国家に戻るのがいいわけはないし、国民国家より後にできた共産主義国家が惨憺たるありさまなのは見ての通りだし。国民国家という枠組みすら持てない地域が民族紛争や宗教間紛争に見舞われているのも、二十一世紀にはしばしば目にするところだし。どう考えても、国民国家でないイスラム国よりは、国民国家日本のほうがましなのです。今のところは。

 要は代案を欠いていること、国民国家に代わるヴィジョンをなんら提示できていないことが、私は不満だったわけです。国民国家よりもましなヴィジョンがない以上、国民国家を単位とした世界平和を考えるほうが生産的なのではないかと。

 というわけで国民国家批判論とは距離を置いてきたわけですが、このたび同論の提唱者というべき西川長夫の本が図書館にあると知り、三冊ほど借りてきました。今さら国民国家批判論に転じるつもりもありませんが、原点を知る必要はあると思ったわけです。