核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

最後の一ページだけ先に見たくなる

 分厚い本を読んでて根気が続かなくなると出る、私の悪癖の一つです。

 もちろん推理小説とか、星新一ショートショートのような、最後の一ページを先に読むと台無しになる作品ではがまんします。しかし、大長編文芸作品のたぐいになるとつい。

 きっかけは覚えています。子供向け世界名作全集の『ドン・キホーテ』。これは読み飽きたわけではなく、最初のページを読む前に、最後の一ページを開いてしまったのです。ドン・キホーテの最期の場面。以下、うろおぼえで引用。

 

 「ああ、今わしは騎士ドン・キホーテではなくて、もとのアロンソ・キハーダにもどったのだ。騎士物語のあのくだらないほら話は、もういやだ」

 

 今でいうネタバレをしてしまったわけですが、強烈に印象に残りました。本編をじっくり読み返したのは、そのだいぶ後だったと思います。最初に最後のページを読んだから面白くなくなるといったことはなく、むしろ『ドン・キホーテ』自体を一種の騎士物語のように、面白く読んだことを覚えています。

 この、最後になって物語の世界から現実に引き戻される感覚、私はわりと好きです。

 前にも書きましたが、『三国志演義』の結末近くで、蜀の国を滅ぼした鐘会という将軍が、独立しようと邪心を抱いて、

 「うまくいけば天下を狙えようし、し損なっても劉備ぐらいまではできるのだ」

 と豪語する場面は、なんか劉備ももう歴史上の人なんだな、と気づかされて、寂しい感動を味わいました。『水滸伝』の魯智深が円寂する場面も。あ、この二作品は平凡社の大人向け全集で、きちんと最後まで読みました。 

 最後の一ページだけ先に読むなんて、読書のあり方としては邪道もいいところですが、読者論とか読書論について何かを考えている方の参考になれば幸いです。