前回は「〇〇そうです」が多過ぎたので、今回はずばりといきます。
あるなしクイ~ズ!
『三国志演義』の前半(劉備編)にはあるけど、後半(孔明編)にはなく、
『マハーバーラタ』にはあるけど、『ラーマーヤナ』にはないものは?
答えは「敵への敬意」。「敵味方を越えた共感」でもOK。
たとえば平忠度が討たれた時の、敵(かたき)も味方もその死を惜しんだとか。
敵対するディオメデスとグラウコスが先祖を同じくすることを知り、ヨロイを交換して別れたとか。
曹操が劉備の元に走る関羽を見逃し、後に関羽も窮地の曹操を見逃すとか。
大叔父にあたる敵ビーシュマを、アルジュナが「殺したくない」と葛藤するとか。
そういう武士道らしきものは、戦争に勝つための技術が進歩するにつれて失われていくようです。楠木正成やオデュッセウスや諸葛孔明やラーマは名将かもしれませんが、敵への敬意には欠けています(彼らのファンの方はすみません)。
「敵への敬意がなんだ。戦争は勝つことがすべてだ」というご意見もあるかとは思いますが、その発想の果てにはあるのは核兵器です。
一方、敵への敬意という思想は……必ずしも平和に結びつくとは限りません。「宋襄の仁」という故事があるように、悲惨な敗戦につながった例もあります。
しかし、この、敵への敬意、あるいは敵味方を越えた共感に、私は世界平和へのかすかな糸口を見ています。「汝の敵を愛せよ」というのは凡人には実現不可能な思想ですが、「敵に最低限の敬意を払う」ぐらいなら、凡人にも可能だと思います。