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私は支那(しな)の歴史を読む度に諸葛孔明の心事を哀れに思はない事はありません。南陽の草盧(そうろ)にあつて、数頃(すうけい)の田を耕して天然を楽んでゐたら平穏無事に百年の壽(じゆ)を保つ事が能(で)きましたらうが、劉備が三顧の恩に感じ、天下三分の計を定めてから、死に至るまで一日も心の安らかな日は無かつたでせう。祁山(きざん)に司馬仲達と対陣してゐる時、仲達諸葛の使者に孔明の日常生活を聴いて、
「食少なく事煩(おほ)し、それ能く久しからんや」
と予言した通り、孔明は五十四歳にして五丈原の露と消えました。孔明自身も心身過労の生命を縮める事を知つてゐませうけれども、負托(ふたく)の任の重きを感じて一身を犠牲にするの覚悟であつた事は出師(すいし)の表を読んで察するに足ります。
村井弦斎「一元同化力続講 人間が病気になる原因」『婦人世界』
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ちょっと日付が見当たらないので、後で探して追記しておきます。
「覚悟」というフレーズは弦斎的ですが、意外と普通の感想ですね。てっきり、劉備や孔明の大義名分のために駆り出された、兵士や一般民衆の哀れさを書くかと思ったのに。