核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井弦斎 「感興録」(『婦人世界』1920年9月号)

 村井弦斎が晩年に到達した世界平和論。黒岩比佐子さんの「村井弦斎の英文小説とマーク・トウェイン」(『図書』2009年7月)にも紹介されていますが、かぶらない範囲で引用してみます。「火星の人」という小見出しの章です(52~55ページ)。
 
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 地球上の人類が、殺人時代を経過して平和時代に進むのは、まだまだ前途遼遠なりと云はざるを得ません。
 又一方より論ずれば、婦人の人格が一層向上して、婦人が家庭の主人となる時代が来なければ、真の平和は生じません。婦人の力は母の力です。母の力が人間を自由に造り得る時になれば、自然と人の心は平和になりませう。婦人は決して殺人とか戦争とかいふ如き残酷なる事を好むものでありません。(略)
 又之を他の一方より観察すれば、人が人を殺さなくとも、人が動物を殺して食物としてゐる間は、決して人の心が平和になりません。(略)今日の人間は牛馬豚鶏の肉の味を知つてゐますから、動物の肉を御馳走と信じてゐますけれども、肉食廃止の時代が来たら、その人類が肉食の味を忘れること、恰も今日の人種が人肉の味を忘れた如くになるでせう。
 人類の真の平和時代が来ましたら、今日の自称文明なるものは全く跡を滅して、新しい美的の文明が生ずるに違ひありません。
 ヤレ爆弾とか、毒瓦斯とか、鏖殺とか、残虐とかいふ如き、忌はしい事実と言語も人類社会から消滅して、人間の社会といふものは美の光で充満したものにならなければなりません。
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 同じ号に村井多嘉子夫人の牛豚カレエ調理法が載ってたりもしますけど、弦斎本人は肉食否定に傾いていたようです。『食道楽』の頃とはずいぶん変わったものです。料理観も、戦争観も。
 なお、仮名垣魯文の『西洋料理通』の方は期待はずれでした。明治初期の料理書としては画期的なんでしょうけど、食べることへの倫理が感じられないのです。同じ作者の『安愚楽鍋』と比べても。
 もっと早く、日露戦争前の段階で、弦斎が非戦論に転じてくれていたら。ないものねだりとはいえ残念です。平和主義者になるのに遅すぎることはありませんが、早いにこしたことはないのです。