核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

中公新書編集部編『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』中公新書 二〇一八

 清水唯一郎「第4章 近代」中の問題提起。

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 もちろん、それ(引用者注 戦死・戦傷者の増加)は同時に反戦論をも呼び起こす。日露戦争に際して内村鑑三幸徳秋水ら知識人が非戦論を展開したことはよく知られている。しかし、彼らの主張が大きな広がりを見せることはなかった。なぜそれが普及しなかったのかはもう一度考えてみるべきだろう。
 (一七五ページ)
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 ……私にとっては苦々しい指摘ですが、考えてはみます。
 考えられるのは、キリスト教社会主義を前面に押し出し過ぎたことではないかと思います。
 キリスト教徒や社会主義者が戦争に反対することは悪いとは思いませんが、それらの思想を押し出し過ぎると、「耶蘇や社会党が何か言ってるな。おれには関係ねえや」で終わってしまう可能性も大きいわけで、下策と言わざるを得ません。幸徳秋水日露戦争中に、非戦論とは無関係な『共産党宣言』を翻訳して発禁されていますが、これなどは下策の極みと言うべきです。
 小説家である木下尚江や村井弦斎は、もう少しだけ策に富んでいました。キリスト教社会主義者だった日露戦争期の木下尚江は一般紙である『毎日新聞』に通俗的な(つまり非キリスト教徒ないし非社会主義者向けの)反戦小説を書き、キリスト教徒でも社会主義者でもなかった村井弦斎第一次大戦期の『婦人世界』(当時最大級の婦人雑誌です)を平和論発表の場に選びました。世故に長けていたというべきでしょう。
 それでも戦争は止まらなかったじゃないか。その通りです。ゆえに私は尚江や弦斎の方向性を評価しつつも、さらにその上をゆく平和理論を構築しなければならないと思うのです。