核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

#倫理学

愚行権は容認される、悪行権は容認されない

法学や現代哲学の最先端がどうなのかは知りませんが、私なりの意見を述べてみます。自分自身を危険にさらすかも知れない、愚行権は認められる。他人を危険にさらすかも知れない、悪行権(これは今考えた造語です)は認められないと。 何が善で何が悪かは、し…

星新一「白い服の男」

夏休みの読書感想文でも。原本は今手元にないので、ウィキペディアのあらすじを観ながら記憶を呼び戻してみます。初出は『SFマガジン』1968年9月号とのこと。 近未来、白い服の思想警察が、市民のプライバシーのすべてを監視する社会。といっても殺人…

戦争を知らない世代にできること

戦争の悲惨さを語り継ぐことで戦争を抑止しようとする方法―戦後日本の平和主義は主にその方法をとってきたわけですが―には欠点があります。 時代の推移とともに、戦争の記憶を語り継げる方々が減っていくという、悲しい現実です。 では、戦争を知らない世代…

次の論文、「反戦文学原論」(仮題)

シンプルに「反戦文学論」としたいところですが、黒島伝治がすでに使っていまして。しかもその内容は帝国主義国に対する戦争には賛成するという代物で、看板に偽りありです。 私が目指しているのは、戦争を阻止できるパワーを持った反戦文学を生み出すことな…

戦後SFから三つほど。

戦後日本にも、「何によって戦争を阻止するか」という問題に自覚的だった文学者はいました。 ぱっと思いつく限りで、SF的作品を三つほど。普通は反戦小説とは呼ばれない作品です。 三島由紀夫の『美しい星』は、空飛ぶ円盤を見て自分が火星人だと「気づい…

いっぽう戦後は……。

戦前の平和主義者たちの中には荒唐無稽なものもありますが、少なくともバラエティに富んでいたことは確かだと思います。 いっぽう昭和戦後を見ると。戦争の悲惨さを語り継ぐのはいいのですが、「その先」をめざす平和論が欠けていたことは否めません。戦争を…

反戦文学論の見通し

わが反戦文学論の眼目は、「何によって戦争を阻止するか」といったところになりそうです。 与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」には、それが欠けていました。手放しで賞賛できないゆえんです。 日本で最初に「平和主義」という語を用いた矢野龍渓は、小…

シャンタル・ムフ『政治的なものについて 闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築』明石書店 二〇〇八

「政治的なもの」(”The political")の本質は何か。ムフによればずばり「敵対性」です。 それを忘れた政治談議が甘っちょろいのみならず、危険でもあることをムフは再三に及んで批判します(実は吉野家コピペ風に書こうと思ったのですが、今時通じないと思…

敵と共存する倫理と構造主義

ウラジミール・プロップという学者は、大量のロシア昔話を収集・分析し、構造主義の祖と言われるお人ですが。 「イワンは悪い魔女と平和的に共存する道を選びました。めでたしめでたし」 なんてのは、彼のコレクションにもないんじゃないかと思います。めで…

敵と共存するための倫理に向けて

小林秀雄を調べている関係上、「近代の超克」などという、ご大層な名前の座談会の記録も読んでみたのですが、その名にふさわしい知性ある言葉にはついに出会えませんでした。超克どころか逆行です。 本当の意味で、近代(おおざっぱにいうと、戦争と経済競争…

シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店 二〇一九)その3

『現代思想』誌の増刊号にも項目が立てられてまして、日本ではれいわ新選組との関連で語られることも多い左派ポピュリズムですが、私はどうも乗り気になれません。 ムフの『左派ポピュリズムのために』も、三行で要約しますと、 これまでは新自由主義(イギ…

教育勅語と共産党宣言

私は左派ではなく中道を自認しています。今回は左右両方から怒られそうな話を。 教育勅語と共産党宣言、一見対極に見える二つが、倫理的なレベル(の低さ)では大差ないという話です。 ※ 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛…

シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店 二〇一九)その2

次なる論文の着想を求めて、頭から通読してみました。 やはり、「左派」を名乗るのは、古ぼけたマルクス・レーニン主義を連想させて、せっかくのお客さんを逃がすことになるんじゃないか、というのが感想です。ムフ自身も110~111ページで弁明を試みて…

罪のない民間人≠罪のある兵士?

一九七九年に、梅川事件という猟奇的な銀行強盗殺人事件がありまして。 残酷な話なので詳細は避けますが、要は強盗犯が人質Aに、人質Bを傷つけるよう命じ、Aは恐怖からそれに応じてしまったわけです。Aの行為は同情すべきものであり、責められるべきでは…

「戦争は人を殺すことである」か?―内村鑑三への疑義

松元雅和『平和主義とは何か』(中公新書 二〇一三)より引用。 ※ 戦前日本の平和主義者内村鑑三が言うように、「戦争は人を殺すことである、璽(しこ)うして人を殺すことは大罪悪である」(『萬朝報(よろずちょうほう)』一九〇三年六月三十日付)。これ…

M・カーランスキー『非暴力―武器を持たない闘士たち』(二〇〇七)より、「二十五の真実」

カーランスキー氏の名著『非暴力』の末尾にあった、非暴力についての二十五の真実を引用させて頂きます。 「非暴力はこうあるべきだ」というよりも、「非暴力は歴史上こうでしかなかった」という論調です。私もその苦々しさを共有しつつ書き写します。「―」…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(1)─『易経』『書経』『礼記』『論語 』─」.その2

同論文「四、『論語』に見る反戦思想」より引用。 ※ 「孔子がつつしんで対応したのは祭祀における物忌(斉)と、戦争と、病気であった」 「孔子の優秀な弟子であった曾子が、それ以上に優秀な弟子で孔子が最も愛した顔回(顔淵)について、「(略)害されて…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(1)─『易経』『書経』『礼記』『論語 』─」.その1

『常葉大学教育学部紀要.』二〇一六年三月。今回は『論語』の反戦思想に絞ります。 孔子本人が必ずしも平和主義者ではないことは前回も述べましたが、弟子の中には例外が。 「顔回」という固有名は論語本文にはでてきませんが、定説では顔回のことと解釈され…

孔子曰く「戦争しかない」

丸山穂高という衆議院議員が、北方領土を取り返すには戦争しかないと酒席で発言し、党から除名されるという事件がありました。まったく、国益を損なう暴言としかいいようがありません。 なんか、『論語』で似たような話を読んだような気がして確認してみたの…

中村不二夫『現代詩展望Ⅳ―反戦詩の方法』誌画工房 二〇〇五

「イラク戦争反対、ブッシュよ恥を知れ、ということは小学生でも言えるし、簡単に書けてしまう(略)戦争が起きてから戦争反対と言っても何も始まらないし、それでは遅いのである」(一〇六ページ)。 中村氏はそうした声高だが浅薄な反戦詩を批判し、クロア…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(4)―『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』―」 その3

「宋襄の仁」(戦場で敵に情けをかけたために敗れた例)をめぐって、『春秋左氏伝』と『春秋公羊伝』は真逆の評価を下しています。まず前にも紹介した『春秋左氏伝』から。訳文は今回は濱川論に依拠します。 「宋の大臣の子魚が言った。「(略)敵の傷がまだ…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(4)―『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』―」 その2

前回は濱川論文より、春秋時代の平和主義的言説を紹介しました。 しかし一方では非平和主義な人々もいまして、そちらのほうが多数派かもしれません。 同じく濱川論より引用。()内は注釈です。 「なぜ、火で攻めたことを言うのか。始めて火で攻めたことをに…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(4)―『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』―」 その1

『常葉大学教育学部紀要』二〇一九年三月。 中国古代の歴史書、春秋三伝を分析し、絶対平和主義に至る思想を抽出した、すばらしい論文です。 以下、目についた発言や記述を引用します。出典・年代・発言者は今回は省略で。 「人を殺すことで自分が生きのび、…

弭兵再論―人間性のちょっとだけ低い部分に訴える平和主義―

2014年の7月12日に引用した、向戌の弭兵論に関する記事を再掲します。今度は、絶対平和主義の起源は宗教特にキリスト教である、という意見への反証として。紀元前五四六年の話です。 ※ 宋の向戌(しょうじゅつ)は晋の趙文子(武)とも、また楚の令尹…

滑りやすい坂に階段を

絶対平和主義・平和優先主義・正戦論の関係を図示してみます。 絶対平和主義(すべての戦争に反対) / 平和優先主義(ほとんどの戦争に反対) /ラッセル(ナチスドイツとの戦争には賛成) 正戦論(不正な戦争に反対。正しい戦争には賛成) 「/」で示したのは…

バートランド・ラッセルは平和優先主義者か

まず松元雅和氏の『平和主義とは何か』より、ラッセルの言動を。 ※ ラッセルは第一次世界大戦時、教職追放や投獄の憂き目を見てまでイギリス参戦に反対したが、ヒトラーを阻止するための第二次世界大戦参戦には賛成した(それどころか、冷戦初期のごく短期間…

ガンジーとは違ったモデルを

「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」という言い回しがあるように、ガンジー(ガンディーとも。今回はガンジー表記で統一)は非暴力主義・平和主義の代表者と一般に見なされています。ガンジーと比較して日本の九条護憲論者の不徹底性をあげつらうのも、改…

反戦文学は何に訴えるべきか

ここ三年、年に一本のペースで反戦的な作品論を発表してきまして、私にしては上出来ではあるのですが、このペースではどうも追いつけないという気もしています。軍備拡張による「積極的平和主義」と称するものに向かいつつある風潮にです。 で、書く予定だっ…

文学は、反戦に協力することもできるはず

昨日の続きです。できるはずだと私は思います。 たびたび当ブログが引き合いに出す宋の向戌(しょうじゅつ。紀元前五四六年の人物)は、「美しいことばづかい」によって史上初の国際平和会議を成功させました。 また紀元前四〇〇年代のギリシアの喜劇作家ア…

文学が戦争に協力できるならば……

文学者の戦争協力、という問題提起があります。戦争を賛美し煽り立てるような文学作品を書いた文学者には、戦争に「協力」した責任を問われなければならない、という議論です。 私も文学者の戦争協力という問題意識は共有していまして、だからこそかつて小林…