核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(4)―『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』―」 その3

 「宋襄の仁」(戦場で敵に情けをかけたために敗れた例)をめぐって、『春秋左氏伝』と『春秋公羊伝』は真逆の評価を下しています。まず前にも紹介した『春秋左氏伝』から。訳文は今回は濱川論に依拠します。

 「宋の大臣の子魚が言った。「(略)敵の傷がまだ死ぬほどでなければ、さらに傷つけるのが当たり前。さらに傷つけるのをためらうぐらいなら、はじめから傷つけなければよい。白髪の相手の身をあんじるぐらいなら、それに降伏した方がましだ」」

 一方、『春秋公羊伝』の地の文では。

「だから君子は、まだ整っていなかった楚の陣列を攻撃しなかった襄公の行為を大と評価したのである。(略)恐らく文王の戦であっても、これ以上礼にかなったものではなかっただろう」

 「戦争で勝つためには何をやってもいい」か、「戦争といえども礼は必要」か。
 敵軍が河を渡り終えるまで攻撃を待ってあげたという宋襄公の行いは、いかにも古代人らしく悠長に見えます。
 しかし、「負傷者だろうと老人だろうと、勝つためには容赦するな」という子魚の思想を、より「進歩した」ものと言っていいのかどうか。「戦争で勝つためには何をやってもいい」思想の行きつく先にあるのは、極限すれば「核戦争を起こしても人口の半分が生き残ればよい」という毛沢東の思想です。
 この戦場となった泓(おう)という川は、ルビコン川以上に歴史の分岐点となったようです、「戦争にもルールは必要」であった時代の終わりと、「戦争にルールは無用」時代の到来を示す分岐点に。
 前回にも書きましたが、『春秋公羊伝』は『穀梁伝』とともに、戦争で火が使われたことを非難しています(『左氏伝』には該当箇所なし)。一見原始的に見えますが、「戦争にもルールは必要」という原則を破ってしまったら、後は際限が効かなくなることを見越していたのではないでしょうか。
 『春秋公羊伝』が『左氏伝』以上に読まれていれば、と思うのですが、日本語完訳すら存在しないようです。
 『毛沢東語録』は行きつけの図書館にさえ置いてあるというのに。