昨日の昼は『三国志』の話題で盛り上がり、夜はぶっつづけで『春秋左氏伝』を読みました。漢文調が文体に感染してるかもですが、ご容赦ください。
今回『春秋左氏伝』を読み返すことにしたのは、向戌(この本では「しやうじゆつ」表記)の築いた平和国際体制が、何年続き、いかなる理由で崩壊したのかを学ぶためでした。が、途中に面白いエピソードも多くて、つい横道にそれてしまうことも。
『春秋左氏伝』は、『史記』とか『三国志』みたいな派手な武勇伝を期待すると失望させられるのですが、人文科学的に興味深い話も多くて。
以下は、呉の公子の季札が、魯の国を訪れた時の話です。
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季札が周の音楽を見たいと申し出たので、楽人に命じて季札のために周南、召南の詩を曲に合わせて歌わせた。季札は、これを聞いて、「誠に美しい。はじめて周の王化の土台を作ったところの歌です。でも王化はまだ十分とはいえません。しかしながら国のために務め励んでも上を恨むところがありません」といった。
『新釈漢文大系 第32巻 春秋左氏伝(三)』「襄公二十九年」 一一四五頁
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以下、諸国に伝わる歌を聞き、舞を見て、
「こうした国は、きっと真っ先に滅びるでしょう」とか、
「広々として、いかにも大国の歌と思われる」
といったコメントを添えています。
古代ギリシアのアリストパネスも、喜劇『蛙』のなかで音楽論めいたことをやっていますが、季札のほうが百年ほど前です。貴重な資料ではないでしょうか。
「誠に美しい。しかしながら独裁者を生む国の歌でしょう」
とか言い当てたりして。ブラジルの音楽は好きだけど、ボルソナーロ大統領はなあ。