前回は濱川論文より、春秋時代の平和主義的言説を紹介しました。
しかし一方では非平和主義な人々もいまして、そちらのほうが多数派かもしれません。
同じく濱川論より引用。()内は注釈です。
「なぜ、火で攻めたことを言うのか。始めて火で攻めたことをにくんでである」
(火攻め限定の批判)
「「戎(戦争)となれば果断・剛毅の心を奮い立たせて命令に従う、これが礼である。敵を殺すに果断であれ、果断を成すために剛毅であれ。その逆を行なえば殺されるのである」
(敵兵に情けをかけて捕虜になった大夫を批判して)
「文事の場合でも必ず武備がなければならないことを示しているのであり、孔子自身、頬谷の会でこのことを実践してみせたのである」
(あの孔子が戦闘も辞さない果断な対応で陰謀を阻止した件について)
「孔丘は定公とともに座を退出して言った。「魯の戦士たちよ、武器を取って攻撃せよ」」
(孔丘は孔子の本名。斉国の挑発に対しての発言)
……一つ目の引用で考えさせられるのは、最新兵器だけを非人道的であるかのように批判する傾向です。
春秋時代には火攻めがそれだったわけですが、中世後期では鉄砲が、日露・第一次大戦期には毒ガスが、第二次大戦後は核兵器がそれぞれ悪の元凶のように言われ、それさえなくなれば平和になるかのようでした。当ブログが「核兵器および通常兵器の廃絶」を訴えているのは、そうした最新兵器限定の廃絶論への疑義ゆえです。
二つ目は以前にも引用した、井戸に落ちた敵兵を助けたら捕虜にされた話。大岡昇平を連想させます。
これらの引用からすると、春秋時代には正戦論や戦争やむなし論はあっても、戦争を美化する聖戦論はなかったようです。現実的というべきでしょうか。