顔淵が個人レベルでの平和主義者だったという件の、『論語』の出典を探したら、当ブログですでに言及していたことに気づきました。濱川栄氏のご論文の孫引きですが。
濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(1)─『易経』『書経』『礼記』『論語 』─」.その1 - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com)
濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(1)─『易経』『書経』『礼記』『論語 』─」.その2 - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com)
孔子の弟子、顔淵(=顔回)が清貧と謙虚の人であり、「害されてもしかえしをしない」生き方だったことは、『論語』に出てきます。
そんな顔淵が孔子より先に亡くなった時の、「顔淵死す。子曰く『ああ。天われをほろぼせり』」といった孔子の絶望の言葉も、『論語』は記録しています。よほど期待をかけられていたのでしょう。
なお、孔子自身は必ずしも平和主義者ではなかったことも、当ブログで扱いました。
孔子曰く「戦争しかない」 - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com)