核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(1)─『易経』『書経』『礼記』『論語 』─」.その2

 同論文「四、『論語』に見る反戦思想」より引用。

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 「孔子がつつしんで対応したのは祭祀における物忌(斉)と、戦争と、病気であった」

 「孔子の優秀な弟子であった曾子が、それ以上に優秀な弟子で孔子が最も愛した顔回(顔淵)について、「(略)害されてもしかえしをしない。昔、わが友の顔回はそのようにつとめたものだ」」

 「政治の要諦である食糧、軍備、信頼のうち、どうしても捨てなければならないとしたらどれを先にしますか、という子貢の問いに対し、孔子は真っ先に「兵(軍備)」を捨てると答えた」

 「政治を行うのに、どうして殺す必要があろうか」

 「普通の善人でも民衆を七年にわたって教育すれば、戦争に行かせることができる」

 「教育もしていない民衆に戦争をさせることは、民衆を「捨てる」ということだ」

 「衛の霊公から「陳」(陣立て、戦陣)について尋ねられた孔子は、「俎豆」(祭りの供物を載せる器)のことなら聞き知っているが、軍隊のことはまだ学んでいません、と返答し、翌日には衛の霊公のもとを去ってしまった」

 「弟子の子貢の、一言で一生守り行うべきことを表せば何になるでしょう、との問いに対して孔子は「恕」であろうと答え、自分の望まないことを人にしてはいけないという意だとした」

 「遠方のまつろわぬ人々は「武」ではなく「文」の徳で手なづけ、そのうえで安定させるべきだ」
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 孔子は戦争に対して慎重であり消極的であったが、絶対平和主義者とはいえない、というのが濱川論の論旨であり、私も同感です。