※
「孔子がつつしんで対応したのは祭祀における物忌(斉)と、戦争と、病気であった」
「政治の要諦である食糧、軍備、信頼のうち、どうしても捨てなければならないとしたらどれを先にしますか、という子貢の問いに対し、孔子は真っ先に「兵(軍備)」を捨てると答えた」
「政治を行うのに、どうして殺す必要があろうか」
「普通の善人でも民衆を七年にわたって教育すれば、戦争に行かせることができる」
「教育もしていない民衆に戦争をさせることは、民衆を「捨てる」ということだ」
「衛の霊公から「陳」(陣立て、戦陣)について尋ねられた孔子は、「俎豆」(祭りの供物を載せる器)のことなら聞き知っているが、軍隊のことはまだ学んでいません、と返答し、翌日には衛の霊公のもとを去ってしまった」
「弟子の子貢の、一言で一生守り行うべきことを表せば何になるでしょう、との問いに対して孔子は「恕」であろうと答え、自分の望まないことを人にしてはいけないという意だとした」
「遠方のまつろわぬ人々は「武」ではなく「文」の徳で手なづけ、そのうえで安定させるべきだ」
※
孔子は戦争に対して慎重であり消極的であったが、絶対平和主義者とはいえない、というのが濱川論の論旨であり、私も同感です。