カーランスキー氏の名著『非暴力』の末尾にあった、非暴力についての二十五の真実を引用させて頂きます。
「非暴力はこうあるべきだ」というよりも、「非暴力は歴史上こうでしかなかった」という論調です。私もその苦々しさを共有しつつ書き写します。「―」や「●」は省略で。
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一 非暴力を積極的に表現する単語は存在しない。
二 国家は、軍隊を抑止力として整備しても、結局は戦争に使ってしまう。
三 非暴力を実践する者は、国家の敵と見なされる。
四 宗教は、いったん国家に取り込まれると、非暴力の教えを失ってしまう。
五 抵抗者は、死後に聖人にされると無蓋な存在となり、体制派に取り込まれる。
六 どの戦争にも、開戦理由には必ず若干の嘘が含まれる。
七 憎悪を煽るプロパガンダ機関が現れると、その次は必ず戦争がやってくる。
八 戦争を始める人々は敵と瓜二つになる。
九 暴力と非暴力の対立は、道徳的な問題である。暴力側が非暴力側を挑発して暴力に走らせた時点で、暴力側の勝利となる。
十 問題は、人間の本質にあるのではなく、権力の本質にある。
十一 戦争は、長期化すればするほど国民の支持を失う。
十二 国家は、軍隊がなければ存続できないと思い込んでいる。なぜなら、暴力の伴わない権力を国家は想像することができないからである。
十三 世を制するのは、多数派ではなく、最も組織化が進み、主張を最も声高に叫ぶグループである場合が多い。
十四 最初の銃弾が発射されると、すべての議論は一瞬だけ強制的に封じられる。
十五 武力戦争は、既存の権力を倒すのに必ずしも必要ではなく、むしろ革命そのものを強化すろのに利用だれる。
十六 暴力で意見の違いを解消することはできない。暴力は、常に更なる暴力を招く。
十七 戦争を体験して平和活動家になる人もいる。退役軍人や帰還兵には平和活動家が多い。
十八 人は恐怖に突き動かされると正しい行動が取れなくなる。
十九 残酷な弾圧を受けている人に、弾圧者に攻撃を仕掛けろと説得すれば、ほぼ間違いなく成功する。しかし、凄まじい暴力に非暴力的手段で抵抗せよと説得するのは、不可能に近い。
二十 志願兵のみで構成される職業軍人の部隊が戦争を実施できるのであれば、戦争を一般大衆から支持してもらう必要はない。
二十一 人殺しという仕事をひとたび始めてしまうと、人は際限なく「どんどん深みに」はまっていく。
二十二 暴力には一見合理的な説明が常に伴う。この説明が不合理だとわかって否定されるのは、暴力が効果を失ってからである。
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残り三条は、ぜひ『非暴力』をご覧になってお確かめください。