核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

M・ウォルツァー『正しい戦争と不正な戦争』(風行社 二〇〇八(原著一九七七))

 正しい戦争と不正な戦争について、豊富な事例をもとに論じた本。なのですが、今回は時間の都合もあり、あとがきの「非暴力と戦争の理論」をコピーするにとどめました。

 「正しい戦争」の存在自体を否定する、ジーン・シャープのような人もいるわけです。彼らは市民による敵国軍隊への非暴力的抵抗をもって自衛戦争に替えようとするわけですが、それは妥当なのか。ウォルツァーは妥当ではないと考えているようです。

 ウォルツァー自身の文章はややまわりくどいので、彼が引用しているリデル=ハートの論を孫引きします。

 

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 非暴力的抵抗が過去におけるタタール人征服者や、それよりも近年におけるスターリンのような人物に対して勝利を収めることができるかどうか、極めて疑わしい。ヒトラーに対しては、彼の目に卑しむべき弱者と映るものを踏みにじろうとする彼の衝動(略)を刺激する効果しかもたなかったろう。

 (五九三~五九四頁)

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 劇画『北斗の拳』にも、無抵抗主義を説く村のガンジー似の長老が、「この拳王に無抵抗は武器にならぬ!」とか言われて殴り殺される場面がありました。道徳上の価値観をある程度共有しない相手には、非暴力的抵抗は通用しないのです。拳王とかヒトラーとかスターリンとか北原白秋のような暴力の信奉者には。

 だったら、市民ではなく軍隊のほうに戦争のルールを守らせて、「正しい戦争」を目指すようにさせたほうが現実的ではないか。とウォルツァーは結論します。

 私としては、シャープやガンジーの非暴力論の欠点はふまえた上で、上記のような暴力の信奉者にも通じる非暴力戦略を考えていきたいと思っています。北原白秋研究もその一端です。